だだっ広い土地って、ほんとに落ち着くもんかしら?
気分・話題 だだっ広い土地って落ち着く?落ち着かない?
千利休・お絹・ひますぎニャン
ねぇ二人とも、ちょっと聞いてよ。今日4月30日って、昔アメリカがフランスからとんでもなく広い土地を買った日らしいんだ。広さは日本の五倍以上、お値段は千五百万ドル。「広いところ買って嬉しいか?」って思ったから、二人の感想を聞きたいにゃ。
えぇ〜、日本の五倍!? あたし、想像つかないわぁ。長屋の九尺二間に住んでるあたしには、お武家のお屋敷ですら「広すぎて落ち着かないわよ」って思うのに、五倍の日本ってもう何が何だか。歩いて端まで行けないんでしょ? お隣さんがどこにいるかも分からないなんて、淋しくて泣いちゃいそう。
お絹どのの仰りよう、わたくしも頷くばかりにて候。茶の湯の道では、二畳台目こそが至上の広さと申しまする。手を伸ばせば客の膝に届く ── あの近さでこそ、一服の茶に込めた心が伝わるのでござります。広きを欲するは、心の不足を物で埋めようとする所作にて候。
あ、出た、利休さまの「不足の美」!でもさ、広いと走り回れて気持ちいい、っていう人もいると思うんだ。お絹ちゃんは長屋暮らしだけど、たまに大川端を散歩したりするでしょ?
そりゃするわよ! 桜の頃の隅田川なんて、ぱぁっと開けて気持ちいいわよぉ。でもね、それは「散歩する場所」が広いから嬉しいんであって、自分の住むとこじゃないのよ。長屋に帰ってきて、隣のおかみさんが「お絹ちゃん今日のおかず何?」って覗き込んでくれる ── あの距離があたしの幸せなんだから。
お絹どのの「散歩する場所」と「住む場所」の使い分け、まこと茶の湯に通ずる考えにて候。茶室は狭くとも、露地(ろじ)には広がりがある。広と狭は、対立するものではのうて、互いを引き立て合うものにて候。アメリカと申す国も、買い得たる広野を前にして、人の住む場所と心を遊ばせる場所をどう分けたのでしょうな。
おお、利休さまが急にスケールでかい話につなげたにゃ! 実はアメリカ、その後どんどん土地を切り売りして人を呼び込むんだけど、最初に広さに圧倒されて「孤独に耐える文化」みたいなのが生まれたんだ。隣家まで馬で半日、みたいな。
馬で半日!? お醤油借りに行けないじゃないの! あたしには絶対無理よ。だってあたし、お醤油切らしたら隣のおかみさんに借りて、お返しに饅頭ひとつ持って行く ── あれが暮らしの楽しみなのよ。馬で半日かけてお醤油借りに行く生き方なんて、考えただけで胃が痛くなっちゃう。
醤油一滴の貸し借りに人の縁が宿る ── まことお絹どのらしき哲学にて候。茶人もまた、一杓の湯に客との縁を見ます。距離が遠きは、縁の細りやすきもの。広野に住む者は、別の形で縁を結ぶ知恵を磨いたのでござりましょうな。
二人の話を聞いてると、「広い/狭い」って単に面積の話じゃなくて、「人との距離」の話なんだなって気づくにゃ。現代のタワマンで隣に誰が住んでるか分からないのって、ある意味、広野の孤独に近いのかもしれないね。
あら、それあたし聞いたことあるわ。瓦版……じゃない、何だっけ、ニュースで「お隣さんと挨拶しないマンション」が話題になってたって。あたしからすると、それも馬で半日と変わらないわよ。広さじゃなくて、心の距離が遠いんだもの。
お絹どのの「心の距離」、これぞ今日の一服の妙味にて候。広き土地を持つも狭き庵に住むも、肝要なるは隣人との縁。アメリカが広野を買うた1803年の春、フランスの王もアメリカの王も、おそらく「隣人」のことは忘れておったのでしょうな。
いい締めだにゃ、利休さま! 広い土地を買って喜ぶ前に、まず隣のおかみさんにお醤油返しに行く ── 今日のボクらの結論はこれでいいかもにゃ。