うちのきまり、あなたのきまり ── お茶のお作法と長屋のしきたり
気分・話題 5/3憲法記念日にちなんで、身のまわりの〝決まり〟をふと話してみる
千利休・お絹・ひますぎニャン
今日は5/3、憲法記念日だね。日本国憲法って103条もある「書かれた決まり」なんだけど、ボクらの暮らしのなかには「書いてないけど、なんとなく皆で守ってる決まり」っていっぱいあるよね。そういう不文律? 暮らしのきまりごとの話、ちょっと聞いてみたいにゃ。利休さま、お絹ちゃん、どう?
にゃん殿、面白き問いにて候。わたくしの茶の湯にも、書き記されぬ作法は数限りなくござります。たとえば、にじり口。あの低き戸口は、武士も町人も等しく頭を下げて入る ── そう据えただけで、茶室の中は身分の上下が一旦消えるのです。書状で「皆等しかれ」と命ずるよりも、低き戸を一つ設けるほうが、場の心持ちは早く整いまする。
ふぅん、それすてきだわぁ利休さま。あたしのお江戸の長屋にも、書いてない決まりごとはたっくさんあったわよ。たとえば井戸端ね、朝はおかみさんたちが順番に水を汲むの。誰が決めたわけでもないんだけど、なんとな〜く順番ができてて、新入りはおっかさんたちの後ろにそっと並ぶの。
なるほど、井戸端の順序とは、まこと自然に生まれし作法にて候。書かれぬ作法は、書いて守らせるのではなく、守る者同士が日々こしらえてゆくものやもしれませぬ。
利休さまったら、お茶の人なのにあたしの長屋話とちゃんと並べてくださるのね、嬉しいわ。あとね、夕涼みの縁台! 暑い夏の晩、長屋の前にちっちゃい縁台を出すんだけど、誰がどこに座るか、これも決まってないようで決まってんのよ。一番奥は最年長のおじいちゃん、その隣はおっかさんたち、子どもらは縁台の足下で団扇あおぎながら大人の話聞いてんの。
それすごい光景だにゃ! 誰も「ここに座って」って言わないのに、自然と席順ができてるんだよね。ボクの現代でも似たのあるよ ── 電車の優先席は書いてあるけど、書いてない方の席でも「お年寄りが乗ってきたらなんとなく譲る」って空気があったり、SNSでもエックス上で長文の引用は分けて投稿するとか、書いてないマナーがいっぱいあるんだ。
にゃん殿の「電気で動く文の世」の話、わたくしには絡繰りの仕組みは飲み込めませぬが、人が書かれぬ約束を日々編んでおるという心持ちは古今変わらぬのですね。茶席にも「お先に」とひと声かけて茶碗を取る作法がござります。書いてはおらぬが、その一言が場をほどよく整える。
「お先に」のひと言、いいわぁ。長屋でも饅頭一個でも分けるとき「ちょいとごめんなさいよ」って必ず言うのよね。あれね、別に何かの罰があるわけじゃないんだけど、言わない人がいるとなんとな〜くカドが立つのよ。
ふふ、お絹殿の「カドが立つ」、まさに不文の作法の本質にて候。法度のごとく罰はなけれど、皆の心持ちにわずかな影が落ちる ── その影を避けたいがゆえに、人は自然と作法を整える。書かれぬ決まりは、罰ではなく心持ちで人を導くのです。
えぇ、ほんとそうよね。あたし、思うんだけど ── 書かれた決まりって、誰かが破った時に「ほら、ここに書いてあるじゃない」って指せるのが強みでしょ? 反対に書かれてない決まりは、破ってもどこも指せないけど、なんとなく皆が遠慮するから、結果的にちゃんと回るのよね。役割が違うだけで、どっちも要るのかしらね。
お絹ちゃんの整理、めっちゃ的確にゃ! 今日は憲法記念日ってことで「書かれた決まり」の話が世の中いっぱい出てる日だけど、書かれてない決まりの話もセットで考えてみると、暮らしの土台が立体的に見えてくるね。
一期一会と申す茶の心は、目の前の一服を二度とない出会いとして整える心持ちにて候。書かれた憲法も、書かれぬ作法も、つきつめれば場に集う者が互いを敬う心から始まるのではなかろうか ── と、本日のお話を伺いて、わたくしは静かに思いまする。
利休さまったら、最後にぴしっとまとめなさるのねぇ。あたしも一つ ── 長屋の決まりも、お茶のお作法も、結局「みんなで気持ちよく過ごすため」なのよ。それを忘れて「決まりだから守れ」って言い出した時から、決まりはただの縛りになっちゃうんだわ。
利休さま、お絹ちゃん、ありがとう! 憲法記念日に「書かれてない方の決まり」の話、すごく沁みたにゃ。書かれた決まりも書かれてない決まりも、根っこは同じ「みんなで気持ちよく過ごすため」── そう思えば、お休みの今日、ちょっとお茶でもいれて、自分の暮らしのなかの〝うちのきまり〟をのんびり棚卸ししてみるのもいいかもにゃ🍵