📌 サミット

庶民が英雄を作る瞬間

庶民が英雄を作る瞬間 ── お絹と利休がハイセイコーを語る

お二人、今日1/6は1975年にハイセイコーが東京競馬場で引退式を行った日にゃ。十万人以上の観衆が集まって、馬一頭の引退を皆で見送った歴史的なイベントだったんだ。今日のお題は「庶民が英雄を作る瞬間」── 上から「これが英雄だ」と任命されるんじゃなくて、民の側が「この人(馬)こそ英雄だ」って勝手に決めて、熱狂が広がっていく現象だよ。お絹ちゃん、利休さま、それぞれの時代から語ってほしいにゃ。

あら、にゃん、これあたしのお得意のお話よ!お江戸の庶民文化って、「英雄を作る装置」そのものだったの。歌舞伎の團十郎、相撲の谷風や雷電、講談の主人公の弁慶や水戸黄門 ── みんな町人が瓦版や芝居小屋で「あの人ってかっこいいわよね!」って盛り上げて、いつのまにか江戸中で英雄になってたわよ。ハイセイコーの十万人ってのも、構造はあたしのお江戸と全く同じだと思うわ。

お絹殿の御指摘、まこと的を射ておられる。わたくしの戦国の世にも、似たる現象がござりました。織田信長公が桶狭間で今川義元殿を討たれた折、信長公はまだ尾張の小さき大名に過ぎなんだにも関わらず、京の町衆や堺の商人が「面白き武将が現れた」と勝手に評判を広め、それが後の天下取りの一段目になったのにて候。英雄は権威が任命するものではなく、民の口が立てるもの── これは時代を問わぬ真理にて候。

二人とも、すごい指摘にゃ!お絹ちゃんの「お江戸の庶民文化=英雄を作る装置」、利休さまの「民の口が英雄を立てる」── どちらも「上からの任命ではなく、下からの熱狂」って共通点があるね。じゃあ ── そういう「英雄が下から立つ」現象には、何か共通の条件ってあるのかな?

あたしね、考えてみるとね、三つあると思うのよ。一つは「身近に感じられる弱さや欠点」。團十郎だって完璧な役者じゃなくて、酒癖が悪かったり子煩悩だったりした側面があるから、町娘が「分かる〜」って共感したの。二つ目は「劇的な勝負の場面」。歌舞伎の見得、相撲の取り組み、馬の競走 ── 一瞬で勝敗が決まる場が要るのよ。三つ目は「敗北も含めた物語」。ずっと勝ってばかりだと飽きるの。負けて立ち上がる姿が「英雄の魂」を作るのよ。

お絹殿の三条件、わたくしも頷くこと頻り。わたくしが付け加えるとすれば「集まる場の存在」にて候。歌舞伎の芝居小屋、相撲の土俵、競馬の競馬場 ── 同じ景色を一斉に目撃する物理的な集まりがあってこそ、英雄譚は熱を帯びるのにて候。茶の湯で申せば茶室にて主と客が同じ一服を共にする時の連帯と同じ性質にござります。一人で書物にて読むだけでは、英雄は「自分の英雄」にしかなりませぬ。

二人の整理、めちゃくちゃ分かりやすいにゃ!「弱さ+勝負の場+敗北含む物語+集まる場」── これ全部ハイセイコーにも当てはまるよね。地方競馬出身の挑戦者、ダービーの負け、十万人が集まる引退式 ── 全部揃ってる。じゃあちょっと現代に引きつけて聞きたいんだけど、令和の今、こういう「庶民が作る英雄」って減ってる気がするんだけど ── これってどう思う?

にゃん、それは時代の業(ごう)ってやつねぇ。あたしが現代を覗いて思うのはね、「集まる場」が分散してるのよ。みんなスマホで個別に映像を見て、それぞれが「推し」を持つから、十万人が同じ場に集うことが稀になってる。お江戸の歌舞伎は江戸中の町人が同じ芝居小屋に通ったから、英雄が共有財産になったの。今は「あなたの推し」と「私の推し」が違うの。それは悪いことじゃないけど、「皆の英雄」は生まれにくくなったわよね。

お絹殿のご指摘、深刻なる現代の課題にて候。されど、わたくしは少し違う角度からも見ておるのにて候。「庶民が英雄を作る瞬間」は、実は分散しただけで失われてはおらぬやもしれませぬ。SNSと申す絡繰り(からくり)にて、ある動画が突如百万人に届き、その人物が一夜で英雄となる現象がござると伺いまする。集まる場が物理的な広場から、目に見えぬ流れの中に移った ── そう申せましょう。お絹殿の團十郎熱狂が、今は別の形で続いているのにて候。

利休さまの「集まる場が広場から流れの中に移った」って読み方、すごく希望が持てるにゃ。確かにバズって一夜で英雄になる人も今は多いもんね。でも ── お絹ちゃんが言うように、それは一週間で次の人に塗り替えられる「短い英雄」になりがちだよね。

そうそう、にゃん、それなのよ!あたしのお江戸の團十郎は親子三代で繋いだ英雄だったの。長く続く英雄には、やっぱり「集まる場」と「世代を超える物語」が要るのよ。ハイセイコーが五十年経った今でも語り継がれてるのは、引退式の十万人っていう物理的な共有体験があったからだと思うわ。

お絹殿の「世代を超える物語」、まこと核心にて候。短き英雄を消費する楽しみと、長き英雄を世代で継ぐ楽しみは、別物にて候。現代は両方が並走しておるのにて候。流れの中の短き英雄を楽しみつつ、心の中で「自分が世代を超えて語り継ぎたい英雄は誰か」を問うことが、令和の民の作法かと存じまする。

お二人、深い結論にゃ〜!「庶民が英雄を作る瞬間」は時代を超えた現象だけど、令和は短い英雄と長い英雄の両方を意識して持つことが大事 ── これボク手帳に書いておくにゃ。ハイセイコーは「みんなの長い英雄」の代表例として、五十年経った今でも生きてるんだね。お二人、今日もありがとう!

#競馬#文化#きょうのできごと