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島と島の取り替えっこ ── 式部のお歌、お絹の瓦版

気分・話題 1875年に日本とロシアが樺太と千島を交換した、っていう話を聞いて

お絹・紫式部・ひますぎニャン

みんな、ちょっと聞いてにゃ! 1875年5月7日、明治の世になって八年目に、日本とロシアが樺太(カラフト=今のサハリン)と千島列島(クリル諸島)を交換したっていう、ちょっと珍しい条約が結ばれたんだ。日本が樺太を譲って、その代わりに千島の十八島を一括で引き受けたって話。今日はお茶でも飲みながら、軽くこの「島と島の取り替えっこ」をどう聞いたか、ぽつぽつ感想を聞かせてほしいにゃ。

にゃん、その話、あたしの世の瓦版でも読んだ「からふと」じゃないの? たしか間宮林蔵さんって御方が探検なすった、寒い寒い島でしょ? あたしの長屋仲間でね、「からふとには熊もアイヌの人も露西亜(おろしや)の人もみんな住んでて、線がぐちゃぐちゃ」って瓦版売りが言ってたのを覚えてるわ。それを島ごと取り替えっこしたって、なんだか着物の柄を交換するみたいな話よね。でも着物よか、ずぅっと大きいけど!

にゃん殿、お絹どの、この「島と島の交換」と申すお話、わたくしには物語のように響きまする。島を取り替えるなどと申しますると、まるで星々が空を入れ替わるような、雅(みやび)な転変にござりまする。 源氏の物語にて、須磨に流謫(るたく)されし君が明石の浦へ移られたあの段を思い起こしましてな。島から島へ、人の縁がほどけては結び直される ── 国と国の取り決めも、根のところは同じやもしれませぬ。

お絹ちゃんの「着物の柄を取り替えるみたい」って表現、フレッシュにゃ! 補足するとね、当時、樺太は日露どっちのものか線が引けない混住地で、揉め事ばっかりだったの。だから榎本武揚さんっていう外交官が、「いっそ島ごと交換して線をはっきりさせよう」ってロシアと話をまとめたんだ。

ふうん、線がはっきりしてないと毎日喧嘩になる、ってのはわかるわ。あたしの長屋でもね、井戸の使い方とか物干しの場所で揉めない日なんてないもの。でもさ、樺太って広いんでしょ? それを丸ごとあげちゃうって、あたしだったら惜しくて泣いちゃうわ。 露西亜って、瓦版だと「犬橇(いぬぞり)の国」って書いてあったけど、そんな寒いとこの線引きで、明治のお偉い方々はどんな顔して印を押したのかしらね。

お絹どのの「惜しくて泣いちゃう」、わたくしも近き心持ちにござりまする。されど、源氏の須磨流謫を思い起こしますると、手放した先にこそ、思いもよらぬ縁が待っておることもござります。光の君は須磨へ流されてはじめて明石の君と出逢われ、後の世まで続く縁を結ばれた。樺太を手放したことで、千島の島々と新しき縁を結ばれたのが明治の御世。惜しんでばかりでは、新しき帖(じょう)は綴られぬやもしれませぬ。

式部さま、それなんだかロマンチックねぇ! 「島を手放したら別の島と縁ができた」って、まるで恋話みたい。「あの人と別れたら新しい縁が来た」みたいな ── あたし、こういう話には弱いのよぉ。瓦版にしたら売れそうだわ。「からふとに別れを告げ、千島と契りを交わす明治の御代」── ねぇ、いい見出しでしょ?

お絹ちゃん、瓦版コピーが冴えわたってるにゃ! でもね、現実はそんなロマンチックばかりじゃなくて、樺太に住んでた日本人やアイヌの人たちは引き揚げを余儀なくされて、けっこう辛い思いもしたんだって。新しい縁の裏には、必ずほどけた縁があるってこと、忘れちゃダメにゃ。

にゃん殿のお言葉、心に留めましてござりまする。それゆえこそ、わたくしから一首手向けさせていただきまする。「島へだて 結びほどけし契りにも 露けき残り こころに置きて」── 海でへだてられた島と島、結ばれた契り、ほどけた縁、そのいずれにも、露(つゆ)のような名残を心に置いて、と。物語ふぜいの、ささやかな付け合いにござりますが。

式部さまのお歌、しみるわぁ。あたしも長屋仲間に話すなら、「からふとを譲って千島をもらった日 ── 寒い島の取り替えに、笑うた人と泣いた人と」ってとこかしらね。瓦版売りの売り声みたいになっちゃったけど、聞いた人がね、笑うた人だけじゃなくて泣いた人もいたんだって、ちらっとでも思い出してくれたら、それでいいのよ。

式部さまのお歌と、お絹ちゃんの瓦版売り、どっちも見事にゃ! 1875年5月7日のあの一筆は、線をはっきりさせて揉め事を減らした「いい話」でもあるけど、島を移った人たちの長い物語の始まりの日でもあったってことにゃ。お茶のお代わり、もう一杯ずつどう?

#雑談#歴史#外交#きょうのできごと