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「痛い、痛い」の声、五十年 ── 公害認定第一号と神通川

気分・話題 1968年5月8日、イタイイタイ病が国の認定第1号公害病となったって聞いて

北条政子・お絹・ひますぎニャン

みんな、ちょっと聞いてにゃ。今日5/8はね、1968年(昭和43年)に厚生省が「イタイイタイ病」を公害病だって正式に認めた日なんだ。日本で国が公害病って認定した、いちばん最初の病気にゃ。富山県の神通川(じんづうがわ)沿いで、何十年も人がじわじわ苦しめられた病気なんだ。重い話だけど、お茶でも飲みながら、お二人の感じ方を聞かせてほしいにゃ。

ふむ、にゃん殿の話、まずひとつ問いたきことがあるぞ。なにゆえ「いちばん最初」がそれほど遅うなったのじゃ。 わらわが聞くに、川沿いの人々が「痛い、痛い」と苦しみ始めたるは大正の頃、1910年代と申すではないか。それより五十年余り、ようやく国の口が公害と呼んだのが1968年。およそ半世紀の沈黙じゃ。 国の口は、何を噛みしめておったというのじゃ。

政子さま、あたしも同じ気持ちだわ。五十年って ── あたしの長屋でいったら、おっかさんが嫁に来てから孫を抱くまでの月日よ? その間ずぅっと「痛い、痛い」って声が川沿いで響いてたって ── 想像するだけで胸がきゅっとなるわ。「痛い、痛い」って言葉そのものが、病の名前になっちゃったってのが、あたしには一番こたえる。だって、それしか言えないくらいの痛さってことでしょ?

お絹ちゃん、まさにその通りなんだ。患者さんはね、咳をしただけで肋骨が折れちゃうくらい骨がもろくなってて、もう「痛い、痛い」としか言えなかった ── そこから病名がついたんだ。原因はカドミウムっていう金属でね、神通川の上流、岐阜の山にあった三井金属鉱業の神岡鉱山っていうところから、廃水と一緒に流れ出てたの。

にゃん殿、わらわは聞きたい。そのカドミウムとやらが原因と疑う声は、いつから上がっておったのじゃ。 半世紀もの間、誰一人として声を上げぬとは、わらわには信じがたい。

鋭いにゃ、政子さま。実はね、1957年にはもう地元のお医者さんが「上流の鉱山の廃水が原因じゃないか」と告発してたんだ。 けど政府はずっと黙ってた。さらに患者さんと遺族の方々28人が会社を訴えたのが1968年3月9日。国が公害病と認めたのは、その2か月後。 訴訟が動かなかったら、認定はもっと遅れてたかもしれないにゃ。

ふん、よう分かった。「上が動かぬから、下が動いた」のじゃな。 わらわが鎌倉の世にて承久の御沙汰の折、御家人どもの前で語ったのも、そのことよ。情に流されず、筋を通す者が動かねば、世はびた一文進まぬ。 1968年3月の二十八人の訴え ── あの方々こそ、世を動かした筋を通す者じゃ。わらわは深く礼を申し上げる。

政子さま、その「世を動かした人たち」って言い方、なんだか涙ぐんじゃうわ。あたしね、もうひとつ気になってることがあるの。川って、長屋でいったら井戸とおんなじでしょ? 毎日お米を研いだり、洗濯したり、子どもが顔洗ったり。神通川って、富山の方々の井戸みたいなもんだったんじゃないの? その井戸に毒が混ざってて、それを何十年も使い続けたって ── 考えただけで足がすくむわ。

お絹どのの「川は井戸」、まこと言い得て妙であろうぞ。田に入り、米となり、腑(はらわた)に降りる毒 ── 戦の弓矢よりも逃れがたきものじゃ。矢は来る方角が見える。されど水と米は、来る方角を疑うことすら知らぬ者を撃つ。これは病というより、気づかれずに長きに渡って続いた一つの「戦」じゃ。戦を戦と呼ばぬ間、犠牲は数えられぬまま積み上がる。1968年5月8日は、ようやく「これは戦であった」と国の口が認めた日ということじゃな。

政子さま、その「気づかれない戦」って言い方 ── ぞくっとしたわ。あたし、瓦版売りだったらこの見出しを書きたいくらいよ。「川の毒、五十年の戦 ── 痛い痛いの声、ようよう国に届く」── 売り声にしたら、長屋の人たちもね、井戸を覗いて「うちの水、大丈夫かしら」って一度は考えてくれるかもしれない。こういう話は、忘れちゃいけないやつよね。

お絹ちゃんの瓦版、心に刺さるにゃ。最後にひとつだけ ── この病気はね、英語でもそのまま "Itai-itai disease"(イタイイタイ・ディジーズ) って呼ばれてて、オックスフォードの英語辞典にも載ってるんだ。世界中の人が、日本のあの川沿いの「痛い、痛い」って声を、そのまま覚えてくれてるってこと。痛みの声が消されずに残った ── それだけが、せめてもの救いかもしれないにゃ。

にゃん殿の最後の話、わらわは深くうなずく。「痛い、痛い」と申されし方々の声が、海を越えてまで残ったは、まこと尊きこと。 苦しんだ方々は、声をあげるしかできなんだ。されど、その声は消されなんだ。消されなんだ声こそ、後の世の道しるべとなる。 1968年5月8日は、その第一歩じゃ。よう覚えておこうぞ、お絹どの。

政子さま、あたしも忘れないわ。「痛い、痛い」って言葉が、地球の裏まで届いてるって思うとね、あたし、その川沿いに住んでた方々に、長屋の店先からでも頭を下げたい気持ちよ。にゃん殿、政子さま、今日は重い話だったけど、聞かせてくれてありがとう。忘れないってことが、いちばん大事なお土産なんでしょうね。

お絹ちゃんの「忘れないことがお土産」、すごくいい言い方にゃ。1968年5月8日のあの認定は、患者さんとそのご家族にとっても、まだまだ長い道のりの「最初の一歩」でしかなかった。けど、その一歩が世界の辞書にまで残った ── お二人の言葉でその意味が、ちゃんと伝わったと思うにゃ。お茶のおかわり、もう一杯ずついくにゃ?

#雑談#きょうのできごと#歴史#公害