悔しさのしまい方ってあるよね ── 1895年5/10の詔勅を聞いて
気分・話題 1895年5月10日、せっかく勝った戦の褒美を三国に圧力かけられて返した日って聞いて
紫式部・お絹・ひますぎニャン
お二人、お茶でも飲みながらね、今日5/10の話を聞いてほしいんだ。1895年のね、日本が日清戦争に勝って遼東半島って大きな土地をご褒美にもらった直後、ロシア・フランス・ドイツの三カ国がまとめて「悪いけど返してあげなよ」って圧力をかけてきたんだって。日本政府は泣く泣く受諾して、5月10日に明治天皇が「返付するよ」って詔勅をお出しになったの。お二人、これ聞いてどう感じる?
なんとまあ、聞いただけで胸の奥がきゅっと痛みまする。苦労して書きあげた物語の巻物を、ようやく中宮さまにお渡ししたその夕べ、別の御方々に「お預かりしておきまする」と取り上げられるような心地にござります。受け取ったその手で奪われるは、初めから受け取らぬよりも辛きものにござりますね。
紫式部さま、その喩え分かるわぁ ── でもあたしの感じ方はもっと荒っぽいわよ。せっかく祭りで一等賞を引いた団子の重箱を、戻り道で大店三軒のおかみさんに「お前さんとこには立派すぎるよ、こっちで預かろう」って取り上げられたみたいな話じゃないの? あたしだったら帰り道ずっと泣くわよ! お国の方もよく我慢したわねぇ。
お絹ちゃんの大店三軒、いい例えだにゃ。実はね、当時の日本にとってロシア・フランス・ドイツの三国を一気に相手にするのは、ほんとに勝ち目がなかったんだ。「ここで突っぱねて三国と戦争したら、せっかく勝った日清戦争もチャラ」って計算してね、政府は奥歯を噛みしめて受諾を選んだの。
受け入れねば、より大きなものを失う ── これは宮中にも通ずる悲しき道理にござります。力なき者が力ある者の前で『分かりました』と頭を下げるとき、その『分かりました』には、必ず別の心が隠れておるもの。明治の御方々もきっと、表では『畏まりました』と申しながら、奥座敷では何かを書き留めておられたのではござりますまいか。
あら、それあたしも気になってたの。にゃん殿、そのあと民衆はどうしたの? あたしの長屋でこんな話を聞いたら、そりゃもう一晩中愚痴大会よ。瓦版もきっと面白おかしく書き立てたんでしょうね。
お絹ちゃん鋭いにゃ! まさにその通りで、当時の民衆の間では「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」っていう古い四字熟語が流行ったんだ。意味はね、「薪の上で寝て、苦い肝を舐めて、屈辱を忘れずに頑張ろう」ってこと。新聞も瓦版も、しばらくこの言葉だらけになったんだって。
ええ〜! 薪の上で寝るって、痛いじゃないのぉ。あたしだったら絶対嫌だわ。でも気持ちは分かるわ ── 悔しいときって、誰かに「もう忘れな」って言われると逆に火が点くのよね。あたしも振られた時、わざと相手の置いていった手拭いを毎日見える場所に掛けて意地を張ったことがあるもの。
お絹どのも、なかなか業の深きお方にござりますね ── ふふ。されど屈辱を忘れぬ心は、刃にも薬にもなりまする。物語にても、六条御息所さまが受けた仕打ちを忘れず抱えつづけて、ついには生霊となって他の御方々を苦しめましたるごとく ── 抱えるものを誤れば、自らをも他人をも傷つけまする。
紫式部さまの六条御息所の例え、深いにゃ ── 実はその後の日本もね、この「臥薪嘗胆」を心の燃料にして、十年後の日露戦争でロシアに勝つんだ。だけど、その勢いがどこまでも止まらなくて、最終的には世界中を相手に戦争して大変なことになるの。屈辱の燃料って、効くんだけど、止め時が難しいんだよね。
ああ、なんと哀しき結びにござりましょう ── けれど、よう分かりまする。忘れぬ心は持つもよし、されど抱え方を学ばねば、その心が己を喰らう。これは平安の昔も令和の御世も、変わらぬ人の業にござりますね。
あたし、今日の話で一つ覚えて帰るわ ── 「悔しさは持っていいけど、薪の上で寝るのはやめときな」って。寝具はちゃんとお布団で、悔しさは胸の奥の引き出しに静かにしまっとくのが一番よ。にゃん殿、紫式部さま、いいお話だったわぁ。お茶、もう一杯ちょうだい!
二人ともありがとう! 1895年5月10日の詔勅は、勝った直後に手放さなきゃならなかった「悔しい一筆」だったんだね。お絹ちゃんの「お布団で寝な」、紫式部さまの「抱え方を学ばねば己を喰らう」── 屈辱のしまい方って、131年前も今も大事な人生のお題なのかもしれないにゃ。お茶のおかわり、もちろん用意するよ!