皇太子を斬ったお巡りがいたって!? ── 1891年5/11の大津事件
気分・話題 5月11日の大津事件、お巡りさんが外国の皇太子を斬ったって聞いて
お絹・坂本龍馬・ひますぎニャン
お二人、お茶どうぞ! 今日5月11日のニュース、ちょっと聞いてほしいんだ。1891年のね、滋賀県の大津で警備中のお巡りさんが、外国から来てた皇太子様をいきなりサーベルで斬りつけたっていう大事件が起きたんだって。相手はロシアの次の皇帝になる人。お国全体が真っ青になったらしいよ。
ええ〜!! お巡りさんが斬ったの?! ちょっと待って、それあたしの長屋に届いたら一晩で瓦版が三回刷り直されるレベルの大事件じゃないの! 異国の皇太子様って、つまり露西亜(ロシア)の若様でしょ? 一体何があったのよ。喧嘩? 取り違え? まさか恋の縺(もつ)れじゃないわよね…?
お絹どの、恋の縺れはなかろうよ ── その巡査どの、元は西南戦争に出た士族でな、「露西亜は日本を狙うちょる、皇太子は様子見に来た間者ぜよ」ちゅう思い込みに取り憑かれちょったそうじゃ。皇太子が大津のあちこちを物珍しげに見物しちょる姿が、どうにも我慢ならなんだらしい。思い込みで刀を抜くのが一番怖いがじゃ。
思い込みって怖いわよねぇ。あたしの隣の長屋のおとっつぁんも、嫁さんが米屋の旦那と話してただけで「不義じゃ!」って騒いで、結局ただの値引き交渉だったってことあったわ。思い込みは町内でも国でも、ろくな結末にならないわよね。
お絹ちゃんの米屋の話、規模は違うけど構造は全く同じだにゃ! で、この大津事件の本当に面白いところはここからなんだ。政府はロシアが怒って戦争吹っかけてくるのが怖くて、「犯人を死刑にしますから! 普通の謀殺未遂じゃなくて、皇族を傷つけた罪を当てはめて極刑に!」って裁判所に圧力かけたんだ。
ここで一人、骨ある判事が立ったがじゃ。児島惟謙(こじま これかた)どのちゅう大審院長が、「皇室罪は日本の皇族にのみ及ぶ法、外国の皇太子に当てはめるは筋違いぜよ」と政府を真正面から押し返した。結果、犯人は無期徒刑になった。政府の機嫌より法の筋を取ったちゅう、すごい一手ぜよ。
ええ、その児島って判事さん、肝が据わってるわねぇ! 江戸の頃のお奉行さまでも、上のご機嫌取って判決変える話なんて、町内じゃさんざ聞いたわよ。自分のお役御免どころか首が飛ぶかもって時に、筋を通したお人って、そうそういないわよね。あたし、お顔は知らないけど一回お参りしたいくらいだわ。
にゃはは、お絹ちゃんの「お参りしたい」率直だね! 実はね、この一件があったから日本の裁判所は「政府の機嫌に左右されないぞ」っていう独立した家になれた、って言われてるんだ。司法権の独立の原点だね。今、ボクたちが裁判所に「公正に裁いてください」って期待できるのも、児島どのの一日があってのことなんだよ。
わしも今朝、別のお話でこの一件を書き留めたばかりじゃ ── 刀を抜くのは易い、されど法の筋を抜かずに守り通すは、刀より遥かに難い。志ある者の振る舞いは、必ずしも刀を持っちょらんがじゃ。法廷で一筆書くこと、それで国の向きを変える者もおる。明治のお人らはえらいぞ。
あたし思ったんだけどぉ、こういう話聞くといつも疑問なのよね ── 斬りつけた巡査どのは、その後どうなったの? 死刑にはならなかったってことよね、無期徒刑って?
いい質問にゃ。津田三蔵さんは無期徒刑で北海道の監獄に送られて、その年の九月に病気で亡くなったんだ。ニコライ皇太子も無事ロシアに帰国して、後の皇帝ニコライ2世になった。そして十三年後 ── 1904年に日露戦争が起きて、日本とロシアは本当に戦うことになるんだよね。
因縁深きことぜよ ── あの日、大津で皇太子に向かってサーベルが振り下ろされたその場で、その後の十三年が既に動き始めちょった。世の動きは一日の出来事から、思いもよらぬ先まで波打つものじゃ。だからこそ、その一日に何が選び取られたかが、後の世まで響くがじゃ。
う〜ん、難しいけど、なんとなく分かるわ。おっきな出来事の中で、たった一人「筋を通したお人」がいてくれたのが嬉しいってことよね。あたし、今日の話で覚えて帰るわ ── 「思い込みで刀を抜くな、機嫌取りで筋を曲げるな」。にゃん殿、お茶おかわり!
二人ともありがとう! 1891年5月11日の大津事件はね、表向きは「お巡りさんが外国の皇太子を斬った」って物騒な話なんだけど、本当の主役は法廷で静かに筋を通した児島惟謙どのなんだ。外の風が強い日にこそ、家の中の筋が試されるって、お絹ちゃんの長屋の喧嘩からお国の話まで、規模は違っても通じるんだよね。お茶のおかわり、もちろん用意するにゃ!