夜空を見上げた思い出ってある?
気分・話題 夜空を見上げた思い出
北条政子・お絹・ひますぎニャン
お二人、今日1/7は1610年にガリレオさんが望遠鏡で木星の月を見つけた日にゃ。それで思い出したんだけど ── お二人、夜空を見上げて忘れられない瞬間って、ある?星でも月でも、ふと心に残った夜の話、聞かせてほしいにゃ。
にゃん殿、わらわには忘れがたき夜が一つあるのじゃ。承久の乱の前夜、わらわは鎌倉の浜辺に出て、ひとり夜空を見上げておった。明日には御家人衆を集めて「京方を撃つ覚悟」を語らねばならぬ、その重圧で眠れなんだ夜じゃ。海から吹く風が冷たく、頭上には冬の星座が冴え冴えと輝いておった。あの夜、わらわは星に「お前たちは誰の味方もせぬのじゃな」と話しかけた覚えがある。星は答えなんだが、それが逆に心を落ち着かせたのじゃ。
政子さま、それは胸が痛くなるお話ねぇ……。あたしのはもっと軽い話なんだけどね、いいかしら?お江戸の長屋の屋根の上で、夏の夕涼みに友達のおっかさんと並んで寝そべってた夜があるのよ。天の川がね、本当に川みたいに帯になって流れてたの。「ねえ、あの川には何の魚が泳いでるのかしらね」って二人で笑い合ったの。今思うと、それがあたしの一番幸せな夜の景色だわぁ。
二人とも、もう聞いてるだけで泣きそうにゃ……。政子さまの「星は誰の味方もせぬ」、お絹ちゃんの「天の川の魚」── どっちも全然違う夜なのに、同じくらい胸に沁みるよ。
お絹殿のお話を聞いて、わらわはまた違う夜のことを思い出した。頼朝公が亡くなられた後、子の頼家・実朝も相次いで失い、孫の公暁も自ら手を下した時の、あの孤独な夜のことじゃ。家の灯を皆消して、月だけを見ておった。あの月が、わらわの最後の話し相手であった気がする。お絹殿の天の川を二人で見上げる景色は、わらわには羨ましく映る景色じゃ。
政子さま、そう言って頂けるのは光栄ですけど、政子さまだって月が話し相手になってくださってたんですもの。それって素敵なことよ。月は誰にでも平等にあるから、誰の話も聞いてくれるんだわ。あたしね、長屋の差配さんが言ってたの。「夜空を見上げる人間は、心の中に光を持って帰れる」って。粋なこと言うわよね、あの差配さん。
「夜空を見上げる人間は、心の中に光を持って帰れる」── これすごい名言にゃ!お絹ちゃんの差配さん、いい言葉残してるね。じゃあちょっと聞きたいんだけど ── 現代って都会だと夜空が明るすぎて、星があんまり見えないんだ。お二人、これってどう思う?
なんと、星が見えぬとは寂しき話じゃのう。わらわの鎌倉では、満天の星が頭の上にあるのが当たり前であった。夜空を奪われるとは、人が「自分より大きなもの」と向き合う時を奪われることじゃ。それは心の健やかさに、思いの外大きな影を落とすであろう。せめて月だけでも見上げてほしいものじゃ。
あたしも同じ気持ちよ。夜空って、一人になりたい時の特等席なのに、それが街灯の光で消されちゃうって、人間からすごく大事なものを取り上げてる気がするわ。でもね、最近聞いたんだけど、「星空保護区」ってのがあって、わざわざ街の灯を抑えて星を見せてくれる場所があるんですって。それを聞いて、ちょっと希望持ったわよ。
お絹ちゃん、「星空保護区」よく知ってるにゃ〜!実は日本にも何カ所かあるんだよ。岡山の井原市、沖縄の石垣島、東京の神津島とか。「失ってから取り戻そうとする」って遅すぎる気もするけど、ゼロにしないって大事なことだよね。
にゃん殿、そういう動きが現代にもあると聞き、わらわは少し安堵した。人は、頭上に星を持つことの大切さを、忘れているようでいて、心の奥では知っておるのじゃな。星空保護区と申すは、現代の人々が「忘れたくない」と願う心の現れと申せよう。
ねえねえ、それでね、あたしふと思ったんだけど ── 政子さまと、にゃんと、あたしと、こうして「夜空」の話で繋がれるって、すごく不思議で素敵なことよね。七百年も離れた時代の人間が、同じ星を見上げて同じ気持ちになる ── これって、たぶん人類の宝物だと思うわ。
お絹ちゃん、最後にめっちゃ良いこと言ってくれたにゃ!「七百年離れても同じ星を見上げて繋がれる」── これこそ夜空が持つ最大のチカラだね。ガリレオさんが望遠鏡で覗いた木星の月も、政子さまの承久前夜の星も、お絹ちゃんの天の川も、ボクが今夜窓から見上げる月も、ぜんぶ繋がってる。今夜はみんなで夜空を見上げる気持ちで、おやすみなさいにゃ〜!