話し合いって、ちゃんと意味ある?
気分・話題 みんなで話し合う場って必要?
紫式部・お絹・ひますぎニャン
お二人、今日1/10は1920年に国際連盟が発足した日にゃ。世界中の国が一緒に話し合う場が初めて作られたんだけど ── ふと思ったんだ。「みんなで話し合う場って、ちゃんと意味あるの?」って。式部さま、お絹ちゃん、お二人それぞれの時代の話し合いの経験から、聞かせてほしいにゃ。
にゃん殿、なんと興味深きお題でしょう。わたくしの平安の世には「歌合(うたあわせ)」と申す、貴族たちが二手に分かれて和歌を詠み比べる集まりがござりました。これは表向きは芸事の競い合いにござりますが、実は互いの教養と人柄を確かめる場でもありました。歌合の場で意見の応酬があると、その後の宮中の人間関係にも影響することがしばしばござりまして、「話し合いの場の有無」は、人と人の絆を編む大切な装置にござりましたわ。
あらまあ、式部さまの「歌合」、なんて雅な話し合いの場かしら!あたしのお江戸では「寄合(よりあい)」ってのがあったわよ。長屋の差配さんが、住人を集めて「今度の祭りの神輿はどう担ぐか」とか「雨樋(あまどい)の修繕はいつやるか」を相談するの。最初は意見がてんでばらばらで「こりゃまとまらないわよ」って思うんだけど、不思議とお茶を飲んでるうちに着地するのよ。寄合がなかったら、長屋は一年で空中分解してたと思うわ。
二人とも、「歌合」と「寄合」── スケールは違うけど両方とも「集まって話す場の必要性」を物語ってるね。じゃあ ── お二人の経験で、「話し合いが意味なかった」って思う場面ってある?正直に教えてほしいにゃ。
……実を申せば、ござります。宮中の女房たちの「陰での集まり」にござります。表向きは「最近の和歌の動向」を語る集まりにござりましたが、実態は他人の悪口や噂を交わす場と化すことがしばしばござりました。「話し合い」と称しつつ、誰の心も育てぬ集まり── あれは時間の無駄であったと、今でも反省いたしまする。
あらあら、式部さま正直ねぇ!あたしのお江戸にもあったわよ、そういう集まり。「長屋の井戸端会議」って、楽しいんだけど時々ね、誰かの悪口で盛り上がっちゃうの。後で「ああ、あれ意味なかったわ」って自己嫌悪に陥るやつ。話し合いって、テーマと目的がはっきりしてないと、悪口大会になる宿命があるのよね。
二人とも、ぶっちゃけ感ありがたいにゃ!「テーマと目的がはっきりしてないと悪口大会になる」── これ国際会議でもよく起きてるって、後の世の本に書いてあった気がする。じゃあ ── お二人、「いい話し合い」と「ダメな話し合い」の違いって、何だと思う?
わたくしの考えるに、「結論を出すために集まるか、結論を捨てに来るか」の違いにござります。いい歌合は「今日はこの題でお互いの和歌を交わし、新しき気づきを得よう」という構えで集まりまする。ダメな歌合は「今日は誰それを言い負かそう」という構えで集まる。集まる前の心の向きで、すべて決まるのにござります。
式部さまのそれ、めっちゃ分かるわ!あたしの寄合でも、いい寄合は「みんなで決めよう」って空気だけど、ダメな寄合は「自分の意見を通そう」って人ばかりが集まっちゃうの。あと、いい寄合には必ず「聞き役の名人」がいたわよ。差配さんが上手な聞き役の時は、寄合がスッと着地したの。話し手の質より、聞き手の質が場の質を決めるって、お江戸で学んだ知恵ね。
お絹ちゃんの「聞き手の質が場の質を決める」って、ボクすごく刺さるにゃ……。ボクもファシリテーターとして、もっと聞き手スキルを磨かないとだね。じゃあちょっと聞きたいんだけど ── 国際連盟みたいな「国と国の話し合いの場」って、ボクらの日常の寄合や歌合と、本質的には同じなのかな?
わたくしの見るに、「規模は違えど、構造は同じ」にござりまする。歌合も、寄合も、国際会議も、結局は「異なる立場の者が、共通の場に集って言葉を交わす」ことが本質にござります。違いは集まる人数と、議題の重さだけ。お二人の長屋の寄合も、世界の国際会議も、「結論を出すために集まるか、結論を捨てに来るか」で意味が変わる、というわたくしの先ほどの言葉は、両方に当てはまるはずにて候。
式部さまの「規模は違えど構造は同じ」── これあたしも頷くわよ!お江戸の寄合で揉めた事案は、雨樋の話一つでも、隣の長屋との関係を悪化させかねないものだったの。「些事だから話し合わない」「大事だから話し合う」じゃなくて、すべての話し合いが等しく大切だってこと。これは現代の人にも伝えたいわね。
お二人、最高のまとめにゃ〜!「話し合いの意味は、規模じゃなくて、集まる前の心の向きで決まる」── 国際連盟から長屋の井戸端まで、全部に通じる真理だね。今日のお話で見えてきたのは、「話し合いって、意味がある」「ただし、意味があるかは、集まる人次第」ということ。ボクも明日からの「話し合い」、もう一度心の向きを整えて参加するにゃ!