印象に残った歴史人物の最期
気分・話題 歴史人物の最期、どう思う?
紫式部・お絹・ひますぎニャン
お二人、今日1/21は1793年にフランス革命でルイ16世が処刑された日にゃ。「歴史人物の最期」って、後の世まで強く語り継がれるよね。それで聞いてみたいんだ ── お二人それぞれ、「印象に残った歴史人物の最期」って、ある?教えてほしいにゃ。
にゃん殿、わたくしの平安には、忘れがたき最期が数多くござります。最も印象に残るは……菅原道真公の太宰府でのご最期にて候。藤原氏の陰謀により都を追われ、太宰府にて失意のうちに病に倒れられたお方にござります。最期に「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠まれたお歌が、千年経った今もわたくしの胸に響きまする。敗者の最期に詠まれる和歌こそ、その人の生涯の真価を示す── これは王朝物語の作家として、何度も書いた主題にて候。
式部さま、それは涙が出るお話ねぇ……。あたしの印象に残る最期はね、赤穂浪士の四十七士の切腹よ。元禄十六年(1703年)二月四日、義に殉じて切腹した四十七人 ── あたしね、お江戸の長屋でも何度もこの話を聞いて育ったの。「主君のために命を捨てる」という覚悟、そして「法の定めに従って整然と切腹を受け入れる」という所作 ── お江戸の人々の心をつかんで離さなかったわ。死に方が美しいと、生き方も後の世に語り継がれるのね。
二人とも、もう聞いてるだけで涙ぐむような最期にゃ……。式部さまの「菅原道真の太宰府での絶唱」、お絹ちゃんの「赤穂浪士の四十七士」── どちらも「敗者の最期の美しさ」が後の世まで語り継がれてる例だね。じゃあ ── 逆に「勝者の最期」で印象に残った人っているの?
大いにござります。藤原道長公の最期にて候。摂関政治の頂点を極められた道長公が、晩年に法成寺(ほうじょうじ)にて、阿弥陀仏の前で念仏を唱えながら、九つの絹紐を阿弥陀如来像から引き、その紐を握りしめながら息を引き取られたとか。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠まれた絶頂期の御方が、最期は仏に救いを求められた── 勝者の最期にも、敗者と同じ「人の限界」が見えるのにござります。
式部さま、道長公のお話、すごく深いわね……。あたしの印象に残る勝者の最期は、徳川家康公よ。天下を取った後、駿府城で「三百年の太平を残せた」と満足げに息を引き取られたって言われてるわ。でもね、あたしのお江戸の感覚では、家康公の最期も決して「満足の死」だけじゃなかったと思うの。自分が死んだ後、本当に家康の作った仕組みは続くのか── そういう不安を抱えて死んでいったはずよ。勝者の最期にも、勝者なりの孤独がある**わ。
お二人、めっちゃ深いにゃ……。「勝者の最期にも敗者と同じ人の限界」「勝者の最期にも勝者なりの孤独」── 死の瞬間に勝者も敗者も同じ「人」になるってことだね。じゃあちょっと聞きたいんだけど ── お二人、「自分の最期はこうありたい」っていうイメージってある?
わたくしは……机に向かって、筆を執ったまま、静かに眠るように逝きたいにござります。源氏物語を書いた者として、最期まで物語の世界に没入したままこの世を去れたら、これ以上の幸せはないと思いまする。「もう続きが書けぬ」と気づく一瞬すらないまま、筆が手から滑り落ちる ── そんな最期を願いまする。
式部さまの「筆を執ったまま」って、もう完璧な物語作家の最期ねぇ……。あたしの願いは、長屋の縁側で、お茶を飲みながら、ご近所さんと噂話をしている最中に、ぽくっと逝きたいわ!「あら、お絹ちゃん、ちょっと、おーい?」って言われながら、もう聞こえてない ── そんな「日常の中で消える」最期が、あたしらしいわよ。重い別れの場面はいらないの。
お二人、めっちゃ自分らしい最期の願いにゃ〜!式部さまの「筆を執ったまま」、お絹ちゃんの「長屋の縁側で噂話の最中」── どちらもその人の生き方が透けて見える理想の最期だね。じゃあ最後に、お二人 ── 現代の人々に「最期に向き合う」ためのアドバイスがあれば教えてほしいにゃ。
わたくしの提言は、「「最期に何を残したいか」を、若いうちから考え始める」にて候。死を遠ざけて考えないようにすると、いざ最期の時が来た時、慌てふためく。若いうちから「自分の最期に遺したい一言、一文、一冊」を意識しておくと、毎日の生き方も自ずと変わって参ります**。これがわたくしの千年来の智慧にて候。
あたしのアドバイスはね、「最期は自分一人で迎えるとは限らない、周りの人にどう見送られたいかも考える」ってこと!式部さまみたいに静かな最期もいいけど、誰かに「ありがとう」って言えるなら、それも素敵な最期よ。「愛する人に「良い人生だったよ」と笑って言えるかどうか」**── これがあたしの最期の判断軸ね。
お二人、最高のアドバイスにゃ〜!式部さまの「最期に遺したい一言を若いうちから意識する」、お絹ちゃんの「愛する人にありがとうと笑って言える最期」── どちらも今日から考え始められる作法だね。1793年のルイ16世処刑から始まった話が、お二人の理想の最期と、現代人へのアドバイスに着地するなんて、深い時間だったにゃ。今日もありがとう!