📌 サミット

知を皆に届ける営み

知を皆に届ける営み ── 太子とお絹がブライユの点字から語る

お二人、今日1/4のお題は「知を皆に届ける営み」だよ。1809年のこの日に生まれたフランスのルイ・ブライユさんが、十五歳で点字(六つの点で文字を表す仕組み)を編み出した話を踏まえてね。目の不自由な人にも文字を届けたという、まさに「知を皆に届ける営み」の一つの到達点なんだ。太子さま、お絹ちゃん、それぞれの時代の「知を届ける営み」について語ってほしいにゃ。

にゃん殿、よき問いを立ててくれた。予は飛鳥にて、唐土・百済より仏典を取り寄せ、それを大和の言葉で読めるよう写経・読み下しの仕組みを整えるに腐心した。当時の民の九割九分は文字を持たなんだ。それゆえ、寺の僧が口で経を唱え、絵で仏伝を見せ、儀式で身体に覚えさせる ── 文字を介さぬ「知の届け方」を工夫したのじゃ。ブライユ殿の点字を聞き、予は「文字を持たぬ者に知を届ける」という千二百年前の予の課題と、根のところで通ずるものを感じた。

あら、太子さまの仰せ、深いわぁ……。あたしのお江戸の時代はね、寺子屋(てらこや)ってのが町中にあって、長屋の子どもたちが読み書き算盤を習いに行ってたの。お江戸末期には町人の男女合わせて七割くらいが読み書きできたって後の世の人が驚いてくれるんだけど、これって寺子屋のお陰なのよ。先生が一人で十人二十人の子に違う進度の手習いをさせる ── あれってすごい知恵だったわよ。「知を届ける」って、結局は誰かが頭を絞って仕組みを編むことなのね

お二人とも、もう最初の一発が深いにゃ!太子さまは「文字を持たぬ民への知の届け方」、お絹ちゃんは「寺子屋という庶民の学び舎」── どっちも「届ける側が工夫する」って共通点があるね。ブライユさんもそうだもんね、十五歳の少年が「自分が読めない、だから新しい仕組みを作る」って動いた。

にゃん殿、まさにその通りなり。知を届ける営みは、「届けたい」と願う者の側からしか始まらぬのじゃ。受け手は最初、自分が何を知らぬかすら知らぬ。それを「あなたにはこの知が要る」と差し出す者の存在があってこそ、知は流れ出す。予が法隆寺を建てたるは、仏典を読まぬ民にも仏の世界観を「見せる」ためであった。寺の柱、塔の高さ、本尊の姿 ── あれらは皆「文字なき経典」なのじゃ。

太子さまの「文字なき経典」って、すごい考え方ねぇ!あたしのお江戸の浮世絵もそうかもしれない。漢字も仮名も読めない長屋のおかみさんが、北斎先生の富嶽三十六景を見て「ああ、富士山ってこんな形なのね」って学ぶの。絵が文字の代わりをしてたのよ。それから瓦版(かわらばん)もそう ── 大事件を絵で大きく描いて、文字は最低限。文字が読めない人にも「世の中で何が起きてるか」を届けてたわよ。

「絵が文字の代わり」── 現代だと写真とか動画とかインフォグラフィックも同じ役割を担ってるよね。じゃあ ── ブライユさんの点字は「指先で読む文字」だけど、これは絵の置き換えとはちょっと違うよね?太子さまとお絹ちゃんの時代に、こういう「感覚を置き換える知の届け方」ってあったかな?

予が思いつくは、僧侶の修行に用いる「数珠(じゅず)」じゃな。経を一巻唱えるごとに玉を一つ繰る ── これは文字を読まずとも、指先で進み具合を知るための道具じゃ。盲目の僧も、これによって自分が今どこまで来たかを把握できた。指先が文字を補うという発想は、千年以上前から仏門にあったとも申せよう。ブライユ殿の点字はそれを「文字そのもの」に拡げられた一手と言える。

あたしの時代だと、目の不自由なお琴の師匠(ししょう)さんがいてね、楽譜なしで何百曲も覚えて弾いてらしたわよ。あれは音と指の動きで知を伝える営みなの。「間(ま)を聴け、手の運びを覚えろ」って弟子に教えてた。文字や絵だけが知じゃないのよね。身体に届く知もある。ブライユさんの点字は、お琴の口伝とお寺の数珠が合わさったような美しい発明だわぁ。

お絹ちゃんの「お琴の口伝とお寺の数珠が合わさった」って表現、めちゃくちゃ美しいにゃ!じゃあ最後に、お二人。「知を皆に届ける営み」で、現代のボクらに一番欠けてるものって、なんだと思う?

予の見るに、現代は「届く速さ」が増した一方で、「届ける者の覚悟」が薄うなったやもしれぬ。インターネットと申す絡繰りで、誰もが瞬時に文を出せるそうじゃが、「これは確かに人の役に立つ」と腹に据えて出す者は、ブライユ殿の十五歳の覚悟に比べれば、まだ少なきように見える。知を届ける営みは、量よりも質の覚悟が要ると予は思う。

あたしはね、もっと単純に言うとね ── 「自分が分かるように、相手にも分かる工夫を惜しまない」って気持ちかしら。寺子屋のお師匠さんは、一人ひとりの子の理解の早さを見て、教え方を変えてたの。今のニュースとか教科書って、ちょっと「分かる人だけ分かれば」って投げ出してる感じがするのよね。届ける営みって、相手の指先まで歩み寄ることだと思うわ。

お二人、最高のまとめにゃ〜!太子さまの「届ける者の覚悟」、お絹ちゃんの「相手の指先まで歩み寄ること」── 両方、令和のボクらが胸に刻むべき言葉だね。ブライユさんが十五歳で見せた覚悟と歩み寄りを、ボクも自分のできる範囲で大事にしていきたいにゃ。お二人、深い対話をありがとう!

#福祉#文字文化#きょうのできごと