📌 サミット

政策判断と庶民の暮らし

政の判断はどこまで許されるか ── お絹と政子が金解禁を読む

お二人、今日1/11は1930年に金解禁が実施された日にゃ。当時の政府は「強い円を取り戻して世界の信用を勝ち取る」って判断したんだけど、世界恐慌のタイミングと重なって、結果的に昭和恐慌を深刻化させて、農村の身売り、大量失業、銀行倒産を招いてしまった。今日のお題は「政策判断と庶民の暮らし」── 政の判断はどこまで許されるか、お絹ちゃん、政子さま、それぞれの立場から語ってほしいにゃ。

あら、にゃん、これあたしの怒りスイッチ入っちゃうお題よ!お江戸でも「米相場(こめそうば)」って、政府の判断ひとつで上下するものがあってさ、長屋の食卓を直撃したのよ。お米の値段が上がったら、即その日のご飯が食べられない人が出るの。御公儀(ごこうぎ)は「相場の安定化」って言うけど、その判断の遅さで何人もの長屋の子が餓死した時代があったわよ。政策って、机の上の数字じゃなくて、毎日の食卓の問題なのよ。

お絹殿の御指摘、まこと武家の女としても胸が痛む。わらわが鎌倉で年貢の制度を整えた折も、御家人の所領経営と農民の暮らしのバランスをどう取るか、頭を抱えたものじゃ。御家人の収入を増やせば農民が苦しむ、農民を楽にすれば御家人が反発する── この板挟みは、政の本質じゃ。されど、わらわは「最終的に農民の心を失った政は必ず倒れると確信して、農民の暮らしを軽んじる御家人を厳しく処断したぞ。

二人とも、もう最初の発言で熱量がすごいにゃ!お絹ちゃんの「政策は毎日の食卓の問題」、政子さまの「農民の心を失った政は必ず倒れる」── 全然違う立場だけど、両方とも「庶民の暮らしを基準にせよ」って点で一致してるね。じゃあ ── 1930年の金解禁の場合、なぜ「庶民の暮らしを基準にする」って発想がなかったんだろう?

にゃん、あたしの読みではね、井上準之助蔵相は「銀行家上がりの政治家」だったからだと思うのよ。銀行家の見る経済って、「資金の流れ」「為替の数字」「国際信用」で、長屋の食卓は遠いの。現場を見ないで決める政策は、必ずどこかで人を殺すわ。これはお江戸でも、御金奉行(おかねぶぎょう)が机の上だけで決めた経済政策で町人が困る、っていう構図と全く同じよ。

お絹殿の「現場を見ないで決める政策」、まこと痛い指摘じゃ。わらわが鎌倉幕府で重んじた御成敗式目は、武家の慣習法を成文化したものじゃが、作成にあたっては地方の御家人の声を丹念に集めて反映させた。畳の上で書いた法は、田畑では役に立たぬ── これはわらわの口癖じゃった。井上蔵相も、もし金解禁の前に農村を回って、農家の経済の脆さを肌で感じていれば、判断は違うていたであろう。

政子さまの「畳の上で書いた法は田畑では役に立たぬ」、めちゃくちゃ刺さるにゃ!じゃあちょっと聞きたいんだけど ── でも一方で、政策って「長期的に正しい」けど「短期的には痛みを伴う」ことってあるよね。金解禁も、もし世界恐慌がなければ「長期的には正しかった」かもしれない。そういう場合、為政者はどう判断すべき?

にゃん、それは難しいお題ねぇ……。あたしの正直な意見はね、「長期的に正しい」を理由に短期の犠牲を強いるなら、犠牲を払う人たちに先に説明と覚悟を求めるべきってこと。お江戸の御公儀がよくやった「御触書(おふれがき)」って、政策の理由を町に貼り出すの。「なぜこれが必要か」を皆に伝えてから動く。これがなくて、ある日突然「米の値段が上がるよ」って始まると、町は荒れたわ。

お絹殿の「先に説明と覚悟を求める」、まこと統治の要諦じゃ。わらわが承久の乱の時、御家人衆を集めて「京方の朝廷と戦う覚悟があるか」を問うたのも、同じ作法じゃ。いきなり命令するのではなく、まず「今これだけの覚悟が要る」と説き、納得を得た上で動かす── これが為政者の最低限の作法じゃ。井上蔵相の金解禁は、農民・庶民への説明と覚悟の確認が不十分なまま断行された ── これは政の作法を守らぬ振る舞いと、わらわは見る。

お二人、「説明と覚悟の確認」って、現代の民主主義の根本にも関わる話だにゃ。じゃあ最後に ── 現代の政治家・政策担当者に、お二人それぞれ何を伝えたい?

あたしはね、自分の決めた政策で困る人の家に、自分で謝りに行く覚悟があるか問えって伝えたいわ!お江戸の町奉行は時々、自分の判断で困窮した町人の長屋に頭を下げに来てくれたの。それだけで町人の怒りはずいぶん和らいだわよ。現代の政治家は、決めた政策の影響を受ける人の顔を見ずに数字だけ見てる。顔を見てから決めるか、決めてから顔を見に行く── どちらかをやってほしいわね。

わらわが伝えたきは、自分が為す政策の代償を、自分の十年後の評価で測れということじゃ。短期では人気が出る政策でも、十年後に「あれは間違いだった」と言われる政は、本物の政ではない。逆に短期では叩かれても、十年後に「あの判断のおかげで今がある」と評価される政こそが、真の政じゃ。井上蔵相は短期的にも長期的にも評価が分かれたが、こうした「長期視座」を意識した政の作法を、現代の指導者には持ち続けてほしい。

お二人、最高の結論にゃ〜!お絹ちゃんの「困った人の家に謝りに行く覚悟」、政子さまの「十年後の評価で測る」── どちらも現代の政策担当者に響く言葉だね。1930年の金解禁の悲劇から、今日のボクらが学ぶべきことは、まだまだたくさんありそうだにゃ。お二人、ありがとう!

#経済#歴史#きょうのできごと