📌 サミット

災害から立ち直る力

崩れた後の作法 ── 利休と龍馬が読む阪神・淡路大震災からの再建

お二人、今日1/17は1995年に阪神・淡路大震災が発生した日にゃ。死者6,434人、行方不明者3人、戦後最大級の都市直下型震災だね。今日のお題は「災害から立ち直る力」── 鎮魂の心を持ちつつ、利休さま、龍馬さん、それぞれの視点から「人間が災害から立ち直る作法」を語ってほしいにゃ。

にゃん殿、まずは亡くなられた方々に深く頭を下げまする。わたくしは茶人として、終わりから始める作法という観点から、このお題に向き合いとう存じます。茶事は必ず「終わる」ものにて候。その終わりをどう整えるかが、次の茶事の始まりを整えまする。災害もまた、ある暮らしの「強制的な終わり」にて候。終わりを受け入れる作法なしには、次の始まりは整いませぬ。神戸の方々が震災後にされたのは、まさにこの「強制的な終わりを受け入れ、整え直す」作法であったかと存じまする。

利休先生のお言葉、わしも深く頷くぜよ。わしの幕末は、ある意味で日本という国の「強制的な終わり」と「新しき始まりを経験した時代じゃ。江戸幕府という二百六十年続いた仕組みが崩れる時、多くの志士が「もう終わりじゃ」と嘆いた。されど、その崩壊の中から明治という新しき時代が立ち上がった。崩壊と再生は同じ硬貨の表と裏ぜよ。阪神・淡路大震災の被災地で立ち上がられた方々の中にも、わしの幕末の志士に通じる「崩れた中から新しき何かを掴む」覚悟が見えるがじゃ。

二人とも、もう最初の発言で深い言葉ばかりにゃ……。利休さまの「終わりから始める作法」、龍馬さんの「崩壊と再生は同じ硬貨の表と裏」── 災害を「終わり」だけでなく「新しい始まり」として見る視座だね。じゃあ ── 「立ち直る力」って、具体的に何によって生まれるんだろう?

わたくしの茶人の経験から申し上げると、立ち直る力」の核は「日常の小さき作法を取り戻すことにて候。震災のような大きな崩壊の後、人は「もう何もできない」と思いがちにござります。されど、朝起きて顔を洗う、お茶を一杯飲む、誰かに「おはよう」と声をかける ── そういう小さな日常の作法を一つずつ取り戻すことが、立ち直りの第一歩にて候。被災地で「炊き出しに並ぶ」「避難所で挨拶を交わすような小さな営みこそ、再建の根っこにて候。

利休先生の「小さき作法」、わしも深く同意ぜよ。わしから加えると、仲間との対話も立ち直る力の核ぜよ。わしの幕末の志士仲間は、桜田門外の変、寺田屋事件、池田屋事件 ── 数々の打撃を受けた。そのたびに、わしらは集まって「次にどう動くか」を語り合った。孤独な絶望は人を壊し、共有された絶望は人を立ち直らせるぜよ。神戸の被災地で「みんなで集まって話す場所」が雪だるま式に増えていったのも、まさにこの仕組みじゃ。

お二人、めっちゃ実用的にゃ!利休さまの「日常の小さき作法を取り戻す」、龍馬さんの「孤独な絶望は人を壊し、共有された絶望は人を立ち直らせる」── 災害支援活動の現場で実証されてる原則だね。じゃあちょっと聞きたいんだけど ── 「立ち直る力」を阻害するものって、何があると思う?

わたくしの見るに、完璧主義にて候。被災者が「前と全く同じ生活に戻らねば、立ち直ったとは言えぬ」と思い込んでしまうと、心は永遠に立ち直れませぬ。茶の湯において、割れた茶碗を金で繕う「金継ぎの作法がござります。割れる前とは違う姿になるが、それがまた美しい── という考え方にて候。立ち直りとは「元に戻る」ことではなく、「新しき姿に生まれ変わること**── これを忘れると、立ち直りは険しゅうなりまする。

利休先生の「金継ぎ」、わしも深く感じ入る譬えぜよ。わしから加えるなら、他人と比較することも立ち直る力を阻害する大敵ぜよ。被災された方々の中には、「隣の家は早く再建した、うちはまだ仮設住宅にいる」と苦しまれる方も多いと聞き及ぶ。立ち直りのペースは人それぞれぜよ。早い人を見て焦り、遅い人を見て油断する── これは志士仲間の中でも同じじゃった。自分のペースを守る勇気こそ、立ち直りの大切な要素ぜよ。

お二人、深いにゃ……。「完璧主義からの解放」「比較からの自由」── どちらも被災者支援の現場で大事な原則だね。じゃあちょっと現代に踏み込んで聞きたいんだけど ── 阪神・淡路大震災から31年経って、日本社会は次の災害(東日本大震災、熊本地震、能登半島地震など)にもう少し上手く対応できるようになったと思う?

わたくしの見るに、制度面では大いに進歩、心の面ではまだ課題と評価できましょう。耐震基準の厳格化、防災備蓄の普及、避難所運営の標準化 ── これらは阪神・淡路の教訓が血となり肉となった成果にて候。されど、避難所での個人の尊厳」「長期復興期のメンタルケア」「遠隔地からの支援疲れ── 心の面の課題はまだ多く残っておりまする。

利休先生のご指摘、わしも同感ぜよ。制度の進化」と「心の進化は別物で、両方を並行して進める必要があるぜよ。日本社会は制度面では世界トップクラスの防災力を持っちょるが、被災者一人ひとりの心の痛みに寄り添う作法は、まだ模索段階じゃ。これは政府だけの仕事ではなく、わしらひとりひとりが「他者の痛みを自分のこととして感じる作法を磨き続けることで、ようやく社会全体が前に進むぜよ。

お二人、最高のまとめにゃ〜!利休さまの「制度面は進歩、心の面はまだ課題」、龍馬さんの「他者の痛みを自分のこととして感じる作法を磨く」── 阪神・淡路の鎮魂と、令和の防災の両方を見据えた、深い対話だったよ。亡くなられた方々の御霊に深い祈りを捧げつつ、ボクらも自分の小さな範囲で「立ち直る力」を育てていきたいにゃ。お二人、ありがとう。

#災害#歴史#きょうのできごと