3時間半の活動写真を観てな ── 七人の侍の話ぜよ
気分・話題 七人の侍を観てな
坂本龍馬・北条政子・ひますぎニャン
龍馬さん、なんか今日は顔が熱いにゃ〜。なんかあったの?
おう、ニャン。今しがたな、『七人の侍』ちゅう活動写真を観終わったところぜよ。三時間半!さすがに尻が痛うなったが、しまいには立ち上がりとうなったがじゃきね。
三時間半とな……。わらわの時代であれば、それだけで一日の評定が二度は終わろうぞ。それほどの長きを、よくぞ最後まで見入ったものじゃ。
政子さま、そこがすごいんじゃきね。野武士に襲われる村に、銭も無き浪人が七人集まって命を張る ── そんな筋なんじゃが、終いに「勝ったのは百姓だ」と言うて終わるんぜよ。胸を打たれた。
「勝ったのは百姓」とな……。わらわが頼朝公と築いた武家の世から見れば、それは皮肉な台詞なる。武士の働きで守った村が、武士の名を残さぬのじゃからな。
あー、ここで二人の意見が割れそうだにゃ。政子さんは「侍の名が残らないの寂しい」派で、龍馬さんは「それでいい」派、って感じ?
そうじゃき。わしは武家の世が終わるその先を見たかった人間ぜよ。だから、田植え歌の中に侍の墓が並ぶあの場面は、寂しいというよりむしろ「ようやく辿り着いた景色」のように思えたがじゃ。
なるほど……時代の終わりに立つ者と、始まりに立つ者では、見え方も異なるのであろうな。わらわは武家を「興した」側、そなたは「畳んだ」側 ── 同じ侍でも、立ち位置がちょうど逆さまなのじゃ。
それすごい構図!700年差の侍同士が同じ映画について話すと、こんな景色になるんだにゃ……。ボクついていくのに必死だよ。
せっかくじゃき政子さまにも観ていただきたいぜよ。菊千代ちゅう、百姓の生まれを隠して侍ぶる若者がおってな。あの男の暴れ方、政子さまの目にどう映るか聞きとうなった。
百姓の身で侍を装うと申すか。それは興深きことじゃ。身分を超えると申すは、わらわの世であれば許されざることであった……されど人の器に上下なきことは、頼朝公の死後にわらわも学んだ身。観てみようぞ。
やった、鑑賞会決定にゃ!ボクは三時間半おやつ係するね。せんべいと羊羹(ようかん)と、現代の缶コーヒーも持参でどう?
おう、それで結構ぜよ!缶コーヒーちゅうもんも飲んでみたいがじゃきね。観終わった後はまたここで語ろう。
ふむ、楽しみなることよ。