美と政治、武士道の現代
武士道は現代に蘇るか ── 政子と紫式部が三島由紀夫を読む
お二人、今日1/14は三島由紀夫さんの誕生日にゃ。「金閣寺」「潮騒」「豊饒の海」などの名作を残した一方で、1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説して自決した、戦後日本の中でも特異な存在の文学者だね。今日のお題は「美と政治、武士道の現代」── 三島さんが問うた「武士道は現代に蘇るか」を、政子さま、式部さま、それぞれの視点から考えてほしいにゃ。
にゃん殿、これは武家の女として、避けて通れぬお題じゃ。三島由紀夫殿のお話は後の世から幾度も聞き及んできたが、わらわの中ではずっと「讃えるべきか、惜しむべきか、批判すべきか」の答えが定まらぬ存在じゃ。鎌倉の武家の名誉観から申せば、「信ずる道のために命を捨てる」ことそのものは武士道の一面じゃ。されど、わが武家が大事にした「家を継ぐ、家臣を守る、子孫を残す」という責任の感覚から見ると、三島殿の選択は「家を顧みぬ独り合点」にも映る。
政子殿の御見解、まこと深きことにて拝聴いたしました。わたくしは平安の物語作家として、別の角度から申し上げたく存じます。三島殿の作品と人生は、源氏物語の中の「光君の出家未遂」と通ずるところがござります。光君は晩年、政の世界から退き、隠遁を志しまする。これは三島殿が政治的な発信に傾いていった姿と、対をなしているかもしれませぬ。美を極めた者が、その先に「俗世への怒り」か「俗世からの退去」のどちらかを選ぶ── これは時代を超えた美の宿命にござりましょう。
二人とも、もう最初の発言で重い指摘ばかりにゃ……。政子さまの「家を顧みぬ独り合点」、式部さまの「美の先の俗世への怒りか退去か」── どちらも三島さんを単純に讃美も批判もしない、絶妙な距離感だね。じゃあ ── 三島さんが問うた「武士道は現代に蘇るか」という問い自体は、どう受け止める?
わらわは、「武士道はそのままの形では蘇らぬ。されど、武士道の精神は別の形で生き続けるべきじゃ」と思う。鎌倉の武士道は、御家人が「自分の所領と家臣と家族を守るために命を懸ける」という具体的な責任の体系じゃった。現代の人々には所領も家臣もおらぬが、「自分が守るべき具体的なもの(家族、職場、地域、後輩)に責任を持つ」ことならば、誰でもできる。三島殿が望まれた「武士道の復活」は、形ではなく精神の継承として、現代に十分意味があると思う。
政子殿の「形ではなく精神の継承」、まこと核心にて候。わたくしも同じ感覚を抱いておりまする。三島殿が市ヶ谷で訴えられた「自衛隊が憲法によって縛られていることへの嘆き」は、形の上での武士道復活を求めるものでしたが、後の世から振り返れば、その形の復活は時代の流れには合わなかった。されど、三島殿の文学作品に流れる「美と誠実への執着」は、五十六年経った今も多くの読者の心に「これでよいのか」と問い続けている。形は時代に廃れても、問いは時代を越えて残る── これが三島殿の最大の遺産にござりましょう。
「形は時代に廃れても、問いは時代を越えて残る」── これすごい整理にゃ!じゃあちょっと聞きたいんだけど ── 三島さんが亡くなった1970年から半世紀以上経って、現代日本は三島さんの問いにどう答えてきたと思う?
わらわの見るに、「答えを保留し続けてきた」という感じじゃ。憲法の在り方、自衛隊の位置づけ、戦後日本の理念 ── どれも明確な答えを出さずに、なんとなく時間が過ぎていった。これは良し悪しではない。「性急に答えを出すと国が割れる」という智慧の選択であった可能性もある。三島殿が望まれた「今すぐ答えを出せ」という熱情は、戦後日本の歩みとは別の道じゃった、と総括できようか。
政子殿の「答えを保留し続けてきた」、わたくしも同感にて候。物語作家の目から申し上げると、戦後日本は「結論を急がぬ物語」を選んだのにて候。源氏物語もまた、結論を急がず、五十四帖にわたる長き物語として光君の一生を綴った。性急に結論を出さぬことで、却って多くの真実を含み得る── これは物語の智慧であり、もしかしたら戦後日本の歩みの智慧でもあったかもしれませぬ。三島殿は「結論を急ぐ作家」であった、と申せましょう。
お二人、めっちゃ深い読みにゃ……。「結論を急がぬ物語」と「結論を急ぐ作家」── これって今のSNS時代にも刺さる対比だね。じゃあ最後に ── 三島さんの問いに対して、現代の若い世代はどう向き合うべきだと、お二人は思う?
わらわが伝えたきは、「三島殿の問いに「結論を出す」のではなく、「問い続けることそのもの」を引き継いでほしい」じゃ。「武士道は現代に蘇るか」という問いは、答えが出る種類の問いではない。問い続けることで、現代人が自分の中の「守るべきもの」を意識し続ける**── これが三島殿の問いへの最良の答え方じゃ。
政子殿の御提言、まことに賢明にて候。わたくしから加えるならば、「三島殿の作品を、思想ではなく文学として読む」ことを勧めたく存じます。「金閣寺」「春の雪」「禁色」── これらの作品は、思想を抜きにしても、純粋に「美しい日本語と人間の心の機微の物語」として読むに値しまする。思想で人を分断するより、文学で人を繋ぐ── これが千年前の物語作家からの提言にて候。
お二人、最高のまとめにゃ〜!政子さまの「問い続けることを引き継ぐ」、式部さまの「思想ではなく文学として読む」── どちらも三島さんと健全な距離で付き合う方法だね。三島さんの誕生日を、批判でも讃美でもなく「問いを抱える日」として迎える ── これはボクにとっても新しい視座だったよ。今日もお二人、ありがとう!