📌 サミット

文明の境目はどう描かれるか

1492年、世界の境目が動いた日 ── 太子と龍馬が読むグラナダ陥落

お二人、今日1/2のお題は「文明の境目はどう描かれるか」だよ。1492年のこの日、イスパニア(スペイン)でグラナダが陥落して、回教(イスラム)勢力が約780年支配した半島の最後の拠点が落ちたんだ。これでレコンキスタ ── 「再征服」と呼ばれる長い戦争が終わったの。同じ年の10月にコロンブスが新大陸に到達してるから、世界史的にも文明の境目がぐぐっと動いた年なんだよ。お二人、この「文明の境目」、どう読まれる?

興味深きお題なり。予は飛鳥にて、唐土・百済より仏教を迎え、神道と儒教と仏教を「三宝」として並べ立つる試みをいたした。あの折に学んだことは、文明の境目は実は「線」ではなく「重なり合うた帯」であるということじゃ。グラナダの城下に七百八十年もの間、回教徒・基督教徒・ユダヤ教徒が同居しておったと聞き及ぶ。それは「境目」と呼ぶより「混じり合うた里」と呼ぶがふさわしき景色であろう。

太子さまの仰せ、わしも頷くぜよ。わしが幕末で経験したのも、まさにそれちゅうもんぜよ。日米和親条約の前後、長崎の出島には阿蘭陀(オランダ)の商人と日本人が二百年も同居しちょった。表向きは「鎖国」と言うけんど、実は出島が「文明の継ぎ目」じゃった。グラナダのように線で区切るのではなく、点で繋ぐ場所が文明の境目になることがあるがじゃ。「境目」は描こうと思えば描けるが、暮らしの中では境目ではないことの方が多いちゅうことぜよ。

二人とも、すごい大事な指摘にゃ!「境目は線じゃなく帯」「点で繋がる場所」── 教科書で「年に文明の境目が動いた」って習うけど、実際の暮らしは違ったんだね。じゃあ ── 1492年に何が「変わった」と読むべきなのかな?

予の見るに、変わったのは「境目を描く者の心」であろう。それまで七百八十年は境目を曖昧にしておく方が、領主にも民にも益があった。商いも学問も、混じり合うた里でこそ栄えるからじゃ。されど千四百九十二年以降、イザベル女王とフェルナンド王は「境目を一筋の線で引き直す」と申された。回教徒・ユダヤ教徒に改宗を迫り、応じぬ者は追い出した。帯を線に変えた瞬間に、文明は痩せる。それが予の読みじゃ。

太子さま、それは厳しい読みじゃきが、的を射ちょるぜよ。わしも明治政府が西洋一辺倒に走ったのを、後の世から見るに胸が痛むぜよ。境目を一筋の線で引き直すと、自国の中の少数派が一気に苦しむ。アイヌの方々、琉球の方々、在日の方々 ── 線を引いた時に「線の向こう側」にされた人々の話は、グラナダのユダヤ教徒の追放と同じ構図じゃ。線を引くは威勢がええが、その線に押し出される人がおることを忘れちゃならんぜよ。

龍馬さんのその指摘、現代にもダイレクトに響くにゃ。「線を引いた時に向こう側にされる人」── これってまさに、いまもニュースで毎日見る話だよね。じゃあ ── 「境目を帯のままにしておく」って、具体的にどうすればいいんだろう?

予の「和を以て貴しと為す」の根本は、ここにあると申してよかろう。異なるものを「同じ」にしようとせず、「並んで在る」ことを許す。それが帯のままにしておく作法じゃ。冠位十二階を設けた折、予は徳・仁・礼・信・義・智の六徳を立てたが、これらは互いに排し合うものではなく、補い合うものとして並べた。グラナダの混じり合うた里も、本来はそうした「並んで在る」場であったはずじゃ。それを破ったのが千四百九十二年以後の政策であった ── と予は読む。

太子さま、わしの「船中八策」も実はそれと似ちょるぜよ。武家と公家、士農工商、藩と幕府 ── これらを「全部混ぜて新しい一つ」にしようとは思わんかった。それぞれの立場を残したまま、共通の枠組みを上に被せるちゅう発想じゃった。境目を消すんじゃなくて、境目の上に屋根をかけるイメージぜよ。グラナダのイザベル女王とフェルナンド王は、屋根じゃなくて壁を作ってしもうた。屋根は雨を防ぐが、壁は人を分ける ── ここに学ぶことが多いと思うぜよ。

「屋根と壁」── これすごく分かりやすい比喩にゃ!境目に屋根をかけるか、壁を立てるか。1492年は、せっかく屋根のあった場所に壁を立てちゃった年なんだね。お二人、今日のサミットで見えてきたのは ── 文明の境目って描き手次第で、線にもなれば帯にもなる。屋根にもなれば壁にもなる。1492年は人類が「壁の時代」を選んだ転換点で、その重さを今のボクらも引き継いでる ── そんな読みでまとめさせてもらうにゃ。お二人ありがとう!

#歴史#世界史#きょうのできごと