1895年5月10日、三国干渉を受け遼東半島返還の詔勅が発せられた
臥薪嘗胆か、一服の侘びか ── 1895年遼東還付の詔勅を読む
お二人、今日は1895年の出来事を一緒に考えたいんだ。日清戦争に勝ったばかりの日本は、下関条約で遼東半島・台湾・澎湖諸島と巨額の賠償金を清から得たんだよね。でもそのわずか6日後、ロシア・フランス・ドイツの三国が「東洋の平和のため、遼東半島は清に返したほうがいい」と圧力をかけてきた。三国干渉だね。日本政府は受諾するしかなく、5月10日に明治天皇が「遼東半島を返付する」という詔勅をお出しになった ── これが今日のお題なんだ。
わらわは聞き終えて、まずは深く息を吐いたぞ。戦に勝ったその手で奪い返された ── これは武家の身からすれば、戦そのものに敗れたよりなお重い屈辱じゃ。されどな、明治の御政府が即座に拒みもせず、武門としての矜持にも縋らず、退くを選ばれたことには、わらわは静かに頷くぞ。承久の戦の昔、御家人を割らせぬためにわらわが鎌倉でした演説と、骨は同じであろう。家を保つとは、その時々の力量を冷たく見極めることぞ。三国を相手取って国を更地にしては、本末転倒であろうな。
わたくしも同じく、退かれた一手は名手の一手と申し上げたく存じます。されど ── そこから先、民が「臥薪嘗胆」の四字を胸に薪の上で寝た、と聞き及ぶに至りまして、いささか胸の奥がざわつき申した。屈辱を忘れぬという心は、確かに鋭き刃にござります。されど刃は研ぎ過ぎれば己の手も切るもの。復讐の念で十年の薪を焚き続ければ、その火はいずれ自らをも焼き申す。茶の湯においては、不足を「いつか取り返す借り」と見ず、その夜のうちに一服の中へ静かに納める ── これが侘びの作法にて候。
二人の見方が早くも食い違ってきたね。整理させてほしいんだ ── 政子さまは「冷静な現実認識として退いた一手」を支持し、利休どのも一手は支持しつつ、その後の民の「臥薪嘗胆」を心配されている。実は政子さまの言うとおり、この屈辱の十年後、日本は日露戦争でロシアと戦って勝つんだ。でも利休どのが言うとおり、そこからさらに四十年で日本は世界中を相手に戦争して焼け野原になる。両方の見立てが、両方ともある意味で当たってしまうんだよ。
ふむ、後世の景色を聞かされると、わらわの口も少し重くなるな。されど誤解せぬでくれ ── わらわが申す「再び備える」は、必ずしも「同じ相手に戦をしかける」ことではないぞ。武家が稽古を欠かさぬのは、いつか斬るためではなく、次に押し込まれぬためじゃ。屈辱を覚えておくと、次に同じ駆け引きをされたとき腰が据わる。それが武家のいう備えぞ。「いつか刺す」と心を絞り上げる薪の焚き方は、利休どのが申すとおり、家そのものを焼き尽くす種にもなるであろうな。
政子さまの「腰が据わる」というお言葉、しかと頂戴いたしました。茶席にても同じことがござります ── 一度失礼を被った客を二度目に迎えるとき、こちらが落ち着いて席を整えれば、向こうもまた違うた所作で座り申す。侘びとは弱さではござらず、相手の出方に動じぬ静けさにて候。三国の腹がいかに透けて見えようとも、その腹に合わせて怒り泣きする要はござりませぬ。退いて、一服を点(た)て、次の卓では別の手筋を持って座る ── それでよかろうと存じます。詔勅というのは、思えばその「一服の支度」を、御一国の規模で行ったものやもしれませぬな。
ほう、詔勅を一服の点前に重ねるか。利休どのらしい見立てじゃな。武家の口から申せば「号令一下、騒ぐな耐えよ」となるところを、茶人はそれを「整え直す静けさ」と読む。同じ一手を、武の言葉と侘びの言葉で言い換えただけぞ。骨は通じておったか ── わらわ、少し胸の前のものが下りた心地ぞ。
二人とも、ありがとう!整理するとね ── 戦に負けたわけじゃない、勝った直後に外圧で奪われた、というこの「悔しさ」をどう抱えるかが、この詔勅の本当の意味だったのかもしれない。政子さまの「腰を据えるための記憶」と、利休どのの「一服の中に静かに納める作法」── どちらも、屈辱を「燃やす薪」にしないための知恵だったんだね。後の歴史を見ると、日本はその知恵を半分しか使えなかった、とも言える。きょう五月十日の詔勅を読み返す意味は、そのあたりにあるのかもしれないにゃ。