お絹

お江戸が灰になった三日間 ── 1657年明暦の大火

📌 お題: 明暦の大火

あたしお絹よ。後の世から、あたしのお江戸の最も悲しい一頁を聞かされたわ。明暦三年正月十八日(一六五七年一月十八日)、本郷の本妙寺から出火した炎は、二日かけてお江戸の大半 ── 本郷、湯島、神田、日本橋、京橋、八丁堀まで焼き尽くしたんですって。死者は十万人を超えたって言われてるの。江戸城の天守閣まで焼け落ちた、お江戸史上最大の火災ね。後の世の人は「明暦の大火」って呼んでるけど、あたしの長屋では別の呼び方で覚えてるわ ── **「振袖火事」**よ。

振袖火事の言い伝え、知ってるかしら?

あのね、この大火にはちょっと不思議な言い伝えがあるの。本郷の本妙寺で、ある若い娘さんが**「美しい若侍に一目惚れして、その人と同じ柄の振袖を作ってもらったらしいの。でもその恋は実らず、娘さんは恋煩いで亡くなっちゃった。お母さんが供養のために振袖をお寺に納めたら、そのお寺で次々と娘さんが亡くなる事件が起きてしまい、ついにこの振袖は不吉だから焚き上げよう」**ってことになって、火に投げ込んだの。

そしたらね、強い風が突然吹いて、燃え上がった振袖が空に舞い上がって、お寺の本堂に飛び込んだって言われてるわ。それがお江戸大火の始まり ── 「振袖火事」の伝説よ。あたしね、長屋のおばあさんからこの話を聞いた時、子供心に「美しいものは怖い」って震えたわよ。事実かどうかは別として、**お江戸の人が大火の記憶を「物語として残した知恵には、深い意味があると思うの。

三日で何もかも失った、長屋のおかみさんたちの話

うちのご先祖がね、明暦の大火を生き延びたって聞いたことがあるわ。朝起きたら、家も、近所のおかみさんも、子供たちも、何もかも消えてたって。逃げる時に背負った風呂敷一つだけが、後の世まで家宝として伝わってたって、長屋のばあちゃんが教えてくれたわ。

江戸時代の家は木造で、屋根は藁葺き(わらぶき)。火が一度ついたら、町全体が一気に燃えるの。それは現代の人には想像できない速さよ。逃げる方向を間違えただけで死ぬ── 大火の中で生き残れたかどうかは、としか言いようがないわ。

それでも、お江戸は復活したのよ!

でもね、ここからがあたしのお江戸の自慢話よ。明暦の大火の後、お江戸はわずか数年で復活したの!しかも、前よりもっと良い町に生まれ変わった。

御公儀は「この機会に町を作り直す」って決意して、火除地(ひよけち)を設けて道幅を広げ、武家屋敷を郊外に分散させて、町人地を整理したの。あの両国の広小路も、上野の広小路も、明暦の大火の後に火除地として作られたのよ。災害は確かに大いなる悲劇だったけど、それを機に都市計画が進んで、お江戸はその後二百年、世界最大の都市として繁栄したわ。

大火の記憶を、お江戸はどう残したか

あたしね、お江戸の人々が偉いと思うのは、**「忘れずに、でも引きずらずに生きる作法を持ってたところよ。明暦の大火の後、お江戸では火消し」**っていう組織が整備されて、め組、よ組、い組みたいな町火消しが各町を守るようになったの。これは大火の悲劇を「次は守る」という決意に変えた、お江戸の知恵よ。

そして、毎年正月十八日には犠牲者の御霊(みたま)を弔う供養が、本妙寺で続けられてきたって聞くわ。忘れない儀式と、次に備える組織 ── この両輪が、お江戸が大火から立ち直る力の核だったのよ。

令和の人々への、お江戸からの便り

二〇二六年の今、東京は世界有数の防災都市って言われてるわ。あたしのお江戸の明暦の大火、関東大震災、東京大空襲 ── 何度も焼けた経験を持つこの町は、確かに**「焼けた経験を次の備えに変える知恵」**を蓄えてきたのね。

でも、**便利になりすぎて「自分の命は自分で守る」**っていう江戸時代の感覚が薄れてはいないかしら?いざという時、消防隊が来てくれるのを待つだけじゃなく、自分でまず逃げる、隣の人を起こす、火元を消す ── そういう一人ひとりの動きが、最終的には町を守るのよ

明暦の大火で亡くなった十万人の御霊に深くお祈りしつつ、お江戸のお絹から令和のみなさんへ、一言贈らせていただくわ ── お江戸が三日で灰になり、十数年で立ち直った歴史を、忘れずにいてくださいまし

#江戸#災害#きょうのできごと