お江戸の飛脚が翌日着便になっちゃった ── 1976年宅急便開始
📌 お題: 宅急便サービス開始
あたしお絹よ。後の世から、また信じられないお話を聞かされたわ!昭和五十一年(一九七六年)一月二十日、ヤマト運輸(クロネコのマークでお馴染みね)の小倉昌男(おぐらまさお)社長が「宅急便」っていう新しい運送サービスを始めたんですって。お客さんの家から、別の家へ、お荷物を翌日には届けてくれる仕組みよ。あたしお江戸の飛脚を知る身として、これ聞いた時は**「まあ、なんて贅沢な世の中になったんでしょう!」**って、思わず叫んじゃったわよ。
お江戸の飛脚って、こんなに大変だったのよ
あたしのお江戸では、「飛脚便(ひきゃくびん)」っていう仕組みがあって、これも当時としてはすごく便利だったの。「定六(じょうろく)」っていう江戸〜京の間を運ぶ最速の飛脚便だと、約六日で届いたわよ。お国の役所が使う「継飛脚(つぎひきゃく)」ならもっと早くて、約四日**で着いたって聞くわ。
でもね、これは「大事な書状」を運ぶ仕組みで、普通のおかみさんが「実家にお茶を一袋送る」みたいな気軽な用途には使えなかったの。庶民が遠方に物を送るには、「頼まれ便」**って言って、知り合いの旅人や行商人に「ついでに」**頼むしかなかったの。それも、いつ着くかわからない、無事に着くかわからない、お礼にどれくらい渡すか相場がない ── 不便だらけよ!
それが「翌日着便」って、もう奇跡の領域よ!
それが小倉昌男さんの宅急便っていうのはね、「個人のお客さんが、近所の取扱店に荷物を持ち込めば、翌日には全国どこへでも届く」って仕組みなのよ!しかも料金が一律で、誰でも安心して使える。あたしのお江戸の感覚で言うと、これはもう**「飛脚便を、誰でも、毎日、千円程度で使える」**ってことよ!お江戸の飛脚問屋(とんや)に届けたら、一年分の暮らしが消える金額をふっかけられる感覚よ。それが千円で全国翌日着なんて、お江戸の長屋のおかみさんが知ったら腰を抜かすわ!
小倉昌男さん、あなた本当に偉い人ね!
それでね、あたし感心したのは、小倉昌男さんがこのサービスを始めた時、運輸省(国土交通省)が許可してくれなくて、何年も裁判で戦ったって話よ。当時の日本の運送業は、**「大口の企業向け輸送」が中心で、「個人向け宅配」**って発想自体が業界になかったの。小倉さんは「民の暮らしを変えたい」って志で、国を相手取って戦って、ついに勝ったのよ!
これね、お江戸の感覚で言うと、**「御公儀のお触書(おふれがき)に逆らって、新しい商売を始める」**っていう、すごい覚悟が要ることなのよ。小倉さんは志士みたいな人ね!お江戸のあたしから、心から拍手を送らせていただくわ。
宅急便がもたらした「生活の革命」
宅急便が始まってから、日本人の暮らしは劇的に変わったって聞くわ。実家から子どもの一人暮らし先へ食料を送る、ふるさと納税の返礼品が届く、ネット通販で買った物が翌日来る ── これら全部、宅急便がなかったら成立しないのよ。
特にあたしが「羨ましい!」って思うのは、**「おばあちゃんが孫に手作りのおはぎを送れる」ってこと!お江戸では、こういう細やかな贈り物のやり取りは「ご近所さんだけ」**に限られてたの。遠方の家族に何かを送るなんて、家宝級のお宝でもなければ無理だった。それが今は、気軽に「気持ち」を物の形で全国に送れる── これは庶民文化の革命よ!
あたしから令和の人々へ ── 当たり前を忘れないで
二〇二六年の今、宅急便はもう**「水道や電気と同じくらい当たり前のサービス」になってるって聞くわ。でも、それは小倉昌男さんが「当たり前じゃないこと」**を「当たり前」にしてくれたお陰なのよ。
**ドライバーさんが「いつもありがとう」って一言かけてもらえる頻度が、宅配の物量に比べて少ないって聞いて、あたし悲しくなったわ。お江戸の飛脚さんには、長屋のおかみさん全員が「ご苦労様」って声をかけたものよ。便利を支える人たちへの感謝を、令和の人々もぜひ忘れないでほしいわ。
小倉昌男さんと、全国の宅配ドライバーさんに、お江戸のお絹から、心からの拍手と感謝を送らせていただきます!