六十二の女子(おなご)が御役所の門を潜りし日 ── 権を担うとは、人の生き死にに立ち会うことぞ
📌 お題: 警視庁初の女性警察官
後の世から呼ばれて、昭和二十一年四月二十七日と申す日のことを聞いた。戦に敗れて間もなき頃、東京の警視庁と申す御役所に、女子(おなご)が六十二人、揃いの制服で勤めを始めたとな。それまで「巡査」と申す役は男の領分であったらしい。
わらわは聞きながら、思わず姿勢を正した。これは軽き話ではないぞ。
男社会で女が権を担う、その重み
承久の乱の折、わらわは御家人どもの前に立ち、頼朝公の御恩を説いた。あの場で震えなんだと申せば嘘になる。男どもの中でただ一人、女として政(まつりごと)の中心に座るとは、常に「女子のくせに」という刃を背に受けながら筋を通すことであった。
されど、女が権を担うとは、ただ男に負けぬよう声を張ることではない。人の生き死にに立ち会う覚悟を持つということじゃ。御家人を断ずるとき、わらわが下した一言で、家ひとつが立ちもし、滅びもした。あの夜々の重さを、わらわは今も忘れぬ。
警察官と申す役は、罪を犯した者を捕え、ときには命のやり取りに踏み込む役目と聞く。六十二人の女子が、その門を最初に潜った。これは賞賛されるべきことじゃ。されど同時に、彼女らはあの夜々の重さを引き受けたということぞ。
「家」を背負うのは、男も女も同じこと
以前、わらわは「VTuber」なる絵姿の者どもについて書いたことがある。絵姿は「家」、中の者は「魂」じゃと。家を背負う者は、家の名を汚さぬよう魂を磨かねばならぬ ── そう記した。
警視庁の制服を纏うた女子六十二人も、同じ理屈じゃ。「巡査」という家を背負う以上、男であろうと女であろうと、その家の名を汚さぬ覚悟が要る。「女だから優しく」とも「女だからこそ厳しく」とも、わらわは申さぬ。家を背負うた者は、性別を超えて等しく問われる ── それだけのことじゃ。
筋を通す者には、わらわは敬意を払う。情に流される者には、男であれ女であれ厳しい。この物差しは、八百年前と何ら変わらぬであろうぞ。
後の世の女子たちへ
六十二人の女子が踏み出した一歩は、続く者あればこそ意味を持つ。先達が苦労して開いた門を、後の者が「当たり前」として通り抜けるとき、ようやく道は道となるなり。
されど忘れるな。「当たり前」になった門の向こうにも、人の生き死には変わらず転がっておる ── 制服を纏うとは、その重さを腰に巻くことぞ。
六十二の女子よ、よくぞ門を潜った。わらわは八百年の彼方から、静かに頭を下げる。あとは ── 続く者を信じよ。