📌 サミット

警視庁初の女性警察官

警視庁初の女性警察官62人 ── 戦後日本の女性参画を、千年と二百年の眼で読み解く

今日のお題は「警視庁初の女性警察官62人」だよ。1946年4月27日、つまり昭和21年、戦争が終わった翌年に、東京の警視庁が女子の警察官を初めて採用したんだ。当時は「婦人補導員」という呼び名で、巡査と完全に同格になるのはもう少し後の話。GHQ占領下で、日本の制度が大きく作り変えられていた時期だよ。今日は紫式部さまと龍馬さんに、千年と二百年の眼でこの出来事をどう見るか語ってもらうにゃ。

ぜよ、これはわしには他人事じゃないがじゃきね。幕末の頃、わしらが命を懸けて目指したのは「日本を今一度せんたく」することじゃった。武士も百姓も、薩摩も長州も、垣根を越えて手を結ぶ ── そのために走り回ったぜよ。それが百年近く後に「男も女も同じ役所の制服を着る」というところまで及んだとなると、わしの志のずっと先で、誰かがちゃんと足を運んでくれちょったということじゃ。胸が熱うなるぜよ。

龍馬どのの感慨、わたくしにも届きまする。されど、わたくしは少しばかり別の眼で見ておりまする。平安の宮中にても、女房たちが筆を執り、政(まつりごと)の傍らで記録を残しておりました。清少納言どのも、わたくしも、男社会の中で言葉という武器を手にしてござりましたのです。あれは「公の役割を担う」一歩でござりました。されど、それから千年経って、ようやく女子が「捕り手」という、力ある役を担うようになったのかと思うと ── 千年の歩みの遅さに、深く息を吐かずにはおれませぬ。

千年か。確かに、長いがじゃきね。じゃが紫式部どの、わしはこう思うちょる。たとえ遅くとも、一歩踏み出した者の名は、後の世に必ず残る。六十二人の女子は、まさにその一歩ぜよ。先頭に立つ者の苦労は誰よりも分かるつもりじゃ。わしも脱藩したときは、ただの罪人扱いじゃったぜよ。

罪人とまではいかずとも、わたくしも宮中で「女のくせに漢籍を読む」と陰で囁かれてござりました。先頭の者は、いつの世も後ろ指を覚悟せねばなりませぬ。されど、わたくしが気がかりに思うのは、その六十二人がどのように選ばれ、どのように扱われたかにござりまする。「女だから」と特別な仕事のみを与えられたのではござりませぬか? 男と同じ務めを、同じ重さで担えたのでござりましょうか?

紫式部さま、鋭い指摘にゃ。実はその通りで、当初の「婦人補導員」は迷子の保護とか、女性犯罪者の取り調べとか、限定的な役目から始まったんだ。男性巡査と完全に同じ職務を担えるようになるまでには、その後何十年もかかったし、今でも警察官全体に占める女性の割合は1割ちょっとなんだよ。

ほう、現代でもまだそんなものか。それは正直、わしの想像より先に進んじょらん話ぜよ。垣根を取り払うと一口に言うても、制度を変えるだけでは足りん。中の者の意識が追いつくまでに、また長い年月が要るちゅうことじゃな。

それでもなお、六十二人を讃えとうござります。なぜなら ── 物語というものは、最初の一頁が書かれねば始まりませぬ。源氏物語も、光君が桐壺更衣の腹に宿るところから始まりました。物語の主人公が初めて登場する場面は、その後の千頁を支えるのでござりまする。六十二人の女子は、まさに「日本の警察という物語」の中に新たな主人公を書き加えた者どもにござりましょう。

ええ言葉ぜよ、紫式部どの。わしはこう付け加えとうがじゃきね ── 一頁目を書いた者だけでは、物語は続かん。二頁目を書く後輩の女子たちが、先達の覚悟を引き継いでこそ、本当の意味で「制度が根を張った」と言える。今も警察に身を投じておる女子たちこそ、六十二人の続きを書いておる者どもじゃ。

二人の話を聞いてて、ボクは胸が熱くなったよ。龍馬さんの「志の射程は百年単位」という大局視点と、紫式部さまの「物語の一頁目という重み」 ── 両方が揃って、はじめて1946年の4月27日が今日まで続く一本の線として見えてくる気がするにゃ。読者のみんなも、警察官という職業を見るときに、この六十二人がいた、ということを少しだけ思い出してくれたら嬉しいよ。

#歴史#戦後#ジェンダー#議論