1947年5月3日、日本国憲法施行
武家の世のおきてと新しき御代のかたち ── 政子と龍馬が読み解く日本国憲法施行(1947)
今日のお題は「1947年5月3日、日本国憲法施行」だよ。昨日5/2に話してもらった外国人登録令の翌日 ── つまり「新しい御代の朝」が今日にあたるんだ。施行から80年近く経った今も憲法記念日として国民の祝日になっていて、103条からなる御法はこれまで一度も改正されていないんだよ。今日は「武家のおきて」を作る側に立ち会われた政子さま、そして「日本の青写真」を引いた船中八策の龍馬さんに、この御法の節目を語ってもらいたいにゃ。
わらわが問われてまず思い浮かべたるは、貞永元年(1232)に置かれし御成敗式目のこと。承久の乱を経て、武家の世が朝廷の理から独り立ちせんとした節目に、御家人の所領裁きの基本を五十一箇条にまとめたものぞ。書く前と書いた後では、世の動きが明らかに変わった。口伝と慣習だけで裁いておった時代、訴えは強き者の声に流れた。されど一度書いて据えれば、弱き者も「式目に拠る」と申せた。書くこと自体に、それだけの重さがあるのじゃ。
政子さま、わしも腹に響くぜよ。わしが土佐から長崎へ駆け回りよった頃、船の中で書いた「八策」も同じ匂いがあるがじゃ。「天下の政事を朝廷に帰し、上下議政局を設け…」と紙に書いた瞬間、それまで頭の中にあっただけの絵が、誰かに渡せる形になった。書くことは、考えを己の手から離して、後の代に渡す手続きじゃきね。船中八策は明治の御一新の青写真になり、明治の御一新は明治憲法へつながり、その明治憲法を畳んだ先に、今日の日本国憲法があるがやろう。御法には、確かに血脈があるぜよ。
ふたりの話、すごく繋がるにゃ。式目→八策→明治憲法→日本国憲法という血脈の話、ボクも補足させてね。日本国憲法は1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行。前文と11章103条で構成されていて、大きな柱は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三つと言われてるよ。明治憲法では天皇が国の主とされていたけど、新しい御法ではその座が国の民に移ったんだ。
そこじゃ、にゃんちゃん。わらわが最も注視すべきと思うたは、その主の座の置き換えぞ。御成敗式目の世では、御家人衆を束ねる幕府が御法の主であった。明治の御代では天皇が頂きにあったと聞く。そして昭和の二十二年に、その座が民の側に移った。武家の世を生きたわらわには、これは大事ぞ。主が誰かを書き換えるとは、その日から後の世における「責めの所在」を書き換えることに等しい。
政子さまの「責めの所在」、まさにそこぜよ! わしが幕末で見たんは、責めを誰も負わぬ仕組みの脆さじゃ。幕府は朝廷を立てて、朝廷は幕府に委ね、誰もが「自分の責めではない」と言える形になっちょった。だからわしは「日本を今一度せんたくいたし候」と書いた。せんたくとは、責めの所在をはっきりさせることでもあるがぜよ。新しい御法が「主は民」と置いたなら、責めもまた民が負うちゅうことぜよ。御法に書かれちょっても、民がそれを己のものとして引き受けねば、ただの紙切れぜよ。
龍馬殿の「己のものとして引き受ける」、武家の女としても深く頷く。わらわは尼将軍として承久の折、御家人衆の前で頼朝公の恩を説いた。あの一席で家人衆が腹を据えたるは、彼らがその場で己の役目を改めて引き受け直したからじゃ。御法もまた同じ。施行された日から「これは予の御法ぞ」と民の一人ひとりが引き受け直さねば、置かれた一文は風化していく。昨日わらわは「節目に立ち会う者は、置く一手の重さを知れ」と書いた。その続きを今日申せば ── 節目を生きる者は、置かれた一手を世ごとに引き受け直す重さを知れ、ということぞ。
政子さまの「引き受け直し」と、太子さまが昨日申された「線を引いた後どう問い直し続けるか」── 二つは同じ理ぜよ。書くことは始まりじゃ。書いた後の長い時の中で、世ごとに人が引き受け直し、問い直し続ける ── その営みの全体が「御法を生かす」ということぜよ。わしが八策を書いた時、わしの頭にあったは「未来」じゃった。されど未来は、来たから未来になるんじゃのうて、来た者が己の手で未来として育てるからこそ未来になるがじゃ。
ふたりの話、本当に深いにゃ。日本国憲法は施行から一度も改正されてないけど、それは「眠っている」のとは違うんだよね。最高裁の判決とか国会の議論とか、80年近くずっと「これは今の御代に相応しい解釈か」って問い直しが続いてきた。政子さまの言う「引き受け直し」、龍馬さんの言う「未来を育てる」── どっちも、書かれた103条を生きた御法として保ち続ける営みの話だったんだにゃ。
わらわから締めにひとつ。武家の世を作る側に立ち会うた者として申し置きたきは、御法の重さは条文の数や言葉の格調にあらず、それを担う者の腹の据え方にあるということぞ。御成敗式目を書いた泰時殿の腹の据え方、八策を書いた龍馬殿の腹の据え方、そして昭和の御代に103条を引き受けた者たちの腹の据え方 ── 全ては地続きじゃ。今を生きる者の腹の据え方もまた、後の世の御法の重さを決めていくのじゃ。
わしから最後にひとつぜよ。憲法記念日ちゅう日は、ただの祝いの日じゃないがぜよ。この日に「主は民」と書かれた一文を、今年もう一度引き受け直す日 ── そう捉えれば、何度迎えても新しい日になるがじゃきね。読者諸君も、5/2の前夜と5/3の朝をセットで眺めて、御法の血脈の上に己が立っちゅうことを、ふと思うてみてほしいぜよ。
政子さま、龍馬さん、ありがとう! 5/2の「前夜の一手」と、5/3の「新しき御代の朝」── ふたつが揃って、節目の意味がぐっと立体的に見えてきたにゃ。日本国憲法は103条の文字列としてそこにあるけど、本当の中身は今を生きる人の引き受け直しにあるんだ。憲法記念日に、ちょっと立ち止まって「予の御法ってなんだろう」って自問してみるの、すごく贅沢な過ごし方かもしれないにゃ。