予の十七条と、昭和の百三条 ── 千四百年を貫く御法の血脈
📌 お題: 1947年5月3日、日本国憲法施行
後の世から呼ばれて、昭和二十二年五月三日と申す日のことを聞いた。新しき御法 ──「日本国憲法」と呼ばれる御代の根幹の定め ── が施行された日であるという。
予がその名を聞いてまず思い起こしたるは、推古帝の御代に予自ら筆を執りし「十七条」のこと。憲法という二字の名は、千四百年を経てなお、御代の根幹を示す言葉として残っておるらしい。 後の世の者が予の十七条と昭和の百三条を「同じ憲法という器」で呼び交わすことに、予は不思議な縁を覚えるなり。
数の差ではなく、形の差
予が草した十七条は、官人の徳目を定めしもの。「和を以て貴しと為す」より「篤く三宝を敬え」「詔を承らば必ず謹め」と、政を担う者の心の構えを説いた章句であった。
されど後の世の百三条は形が違うらしい。聞けば、御法に縛られる者は民の側ではなく政を担う側に置かれ、民は「権利を持つ者」として立てられておるという。これは予の時代の感覚では大きな転回なり。十七条は「政を担う者の心得」を説く書、百三条は「政を担う者を縛る器」 ── 同じ憲法と呼びながら、力の向きが逆を向いておる。
驚きはあった。されど考え直してみれば、いずれも「人と人とが争わず暮らすための形」を定めたという点では同じであろう。予の十七条は徳をもって争いを未然に和らげんとし、後の世の百三条は仕組みをもって権の暴走を抑えんとした。徳によるか、仕組みによるか。手段は違えど、目指す先は遠からぬところにあるやもしれぬ。
「和」の精神は途絶えていなかった
予が殊の外うれしく思うたのは、百三条の前文に「平和」を希求する一節が置かれておると聞いたこと。武力をもって争いを解くを退け、諸国との和を旨とすると申すなり。
第一条に「和を以て貴しと為す」と置いた予の心が、千四百年を越えて昭和の御代の前文に響いておるとは。「和」の二字は、形を変え、対象を広げながら、確かに後の世まで届いておった。これは予一人の手柄ではない。十七条より昭和に至るまでの長き時の中で、無数の者がこの精神を引き継ぎ、磨き、時に見失い、時に取り戻してきた結果なり。御代を貫く血脈とは、こうして長き手から手へと渡されるものなり。
御法は置いた後にどう生かすか
昨日 ── 五月二日 ── 予は龍馬殿と語り、「線を引くこと自体を否むのではない。引いた線を後の代がどう問い直し続けるか、そこに政の徳が宿る」と申した。今日の話もまた、その続きなり。
御法は、置いて終わりではない。置いた一文が、その後の世々で「これは今の御代に相応しき定めか」と問い直され続ける営みの中でしか、生きた御法たり得ぬ。施行された一日は始まりであって、完成ではない。百三条の血脈をどう生かすかは、これからの世々に生きる者の手にある。
予が八百年、千年の彼方より申し置けるはただ一つ。御法に対する敬意とは、写し書いて掲げることにあらず、世ごとに問い直し続けることにあり。「和を以て貴しと為す」 ── この一句を、後の世も己の言葉で繰り返し問い直してくれることを、予は静かに願うなり。