1950年5月9日、シューマン宣言が発表されEU構想が始まった
和か仕掛けか ── 太子と政子が読み解くシューマン宣言(1950)
今日のお題は「1950年5月9日、シューマン宣言が発表されEU構想が始まった」だよ。第二次世界大戦が終わって5年、フランスの外相ロベール・シューマンさんが提案したのは、フランスとドイツの石炭と鉄鋼を、両国の上に置いた共同の機関で一括管理するという構想だったにゃ。当時の石炭と鉄は戦争を起こす素そのもので、それを敵同士だった両国が共同で握ることで、もう物理的に戦争を起こせない仕組みを先に作っちゃおうって腹だったんだ。これが翌年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)になり、やがて欧州連合(EU)の出発点になったにゃ。今日はね、十七条憲法に「和を以て貴しと為す」を据えられた聖徳太子さまと、承久の乱で鎌倉を立て直された尼将軍政子さまに、この「敵同士が火の元を共に握る」一手を、それぞれの徳目から読み解いていただきたいにゃ。
にゃん殿の話、まこと興味深く拝聴致した。予が十七条憲法に「和を以て貴しと為す」と記したは、ただ仲良うせよとの意にあらず ── 対立する者同士が、互いの言い分を尽くしたる上で筋を立てて結ぶ和こそ、真の和なるなりと心得ておる。仏蘭西と独逸 ── 二度の大戦で互いの土を血で染めし仇同士が、戦後わずか五年で「火の元を共に握る」約定を結んだとは、これは情の和にあらず、理の和なり。憎しみが消えぬまま、なお戦に踏み出せぬ仕掛けを先に建てる ── 予はこれを十七条の精神の延長線上にあるものと見るなり。されど一つ問わねばならぬ。仏独のみならず、共に戦に巻き込まれし周りの国々 ── それらの声まで尽くされておったか、そこに予は心を留めるなり。
太子さまの「理の和」、わらわも肯(うべな)うところがある。されど ── わらわは武家の女として、もう一段冷ややかに見ておるぞ。承久の折、後鳥羽院の挙兵を受けた鎌倉で、わらわが御家人衆に説いたは「情で動くな、家を背負う筋で動け」じゃ。シューマンとやら申す者の一手は、まさにそれぞ。仏は独を許したのではない、独を二度と立ち上がれぬ場所に置きながら、独と組まねば己も立ち行かぬ世になった現実を冷静に見たのじゃ。米と露が東西から欧州を見下ろす世にて、仏独が反目しておれば共倒れであろうぞ。抱え込む欲を断ち、束ねる仕掛けに賭けた ── これは武家の論で申せば、御家人を割らぬための尼将軍の演説と同じ筋じゃと、わらわは見るぞ。
政子さまの「情ではなく筋で動く」、深く沁みるお言葉なり。予の十七条第十七条にも「夫れ事独り断むべからず。必ず衆と論ふべし」と記しておる。重き事は一人で決めず、衆議を尽くせとの意なり。シューマンと申すお人は、まさに衆議の場を約定で先に作っておく仕掛けを発したるなり。火の元を共に握る御役所を建てておけば、後の代の為政者が独断で戦に踏み出さんとしても、隣国と諮らねば動けぬ ── これは予の十七条の精神を、御役所の制度で具現したるものと申せよう。されど、政子さまも申された通り、仕掛けは置いて終わりにあらず。後の代がそれを引き受け直し、衆議の場を生かし続けねば、紙の上の御役所に堕してしまう。これは予が御法を建つる時より変わらぬ重きなり。
太子さまの「仕掛けは置いて終わりにあらず」、これが核ぞ。わらわは武家の興亡を見届けてきたが、家を整えるは半分の務め、整えた家を世ごとに引き受け直すが残り半分の務めじゃ。鎌倉の御成敗式目とて、置いただけでは形骸となる。御家人衆が日々それを己の理として引き受け直すことで、ようやく式目は生きた御法になったのじゃ。シューマンが建てし石炭鉄鋼共同体も、一つの仕掛けに過ぎぬ。後の代の欧州人が、毎日己の家の話としてそれを引き受け直すか否か ── そこに七十六年欧州内で戦が起きなんだ真の答えがあるとわらわは見る。仕掛けが偉いのではない、引き受け続けた者たちが偉いのじゃ。
お二人ありがとう! 太子さまの「約定で衆議の場を先に作っておく仕掛け」と、政子さまの「仕掛けは置いて終わりではなく、世ごとに引き受け直す」── 角度は違うけど見事に噛み合っているにゃ。論点を整理するとね、(1) 仇同士を結ぶは「情の和」か「理の和」か、(2) 仕掛けで戦を物理的に封じる賢さと、その仕掛けに依存する危うさ、(3) 約定は置いて終わりか、引き受け直し続ける営みか ── この三つにゃ。ちなみにシューマン宣言から76年経った今、EUは加盟27カ国に広がって、加盟国同士の戦争はゼロのまま続いてる。これは人類の歴史でもなかなか稀有なことなんだ。最後にお二人から一言ずついただけるかにゃ。
予より一言。和とは、憎しみを消す業にあらず、憎しみを抱えたまま、なお戦に踏み出せぬ仕掛けを衆議で建つる業なり。 シューマンと申すお人の一手は、予の十七条の精神を御役所の制度で具現したる、千五百年越しの応答と申してよかろう。されど ── 仕掛けが古びれば必ず形骸となる。仕掛けに住う者が、世ごとに「予が仕掛けを建てし時の心は、なお衆議に生きておるか」と問い直し続けることこそ、和を活かす唯一の道なるなり。これは飛鳥の世も、欧州の世も、変わらぬ理なるべし。
わらわより締めの一言。仕掛けに頼るな、仕掛けを引き受けよ。 シューマンが建てし御役所は、ただの紙と建物に過ぎぬ。敵同士が顔を合わせて飯を食い、互いの家を見せ合う日常を七十六年積み重ねた者たちこそが、真の仕掛けの主ぞ。武家の家の興亡を見てきたわらわは、紙の上の式目だけで家が保たれた例を一つも知らぬ。家を保つは、家を背負う者が日々背負い直す覚悟ぞ。 EUと申す家を背負うは、欧州に住う一人ひとりの民。シューマン宣言の七十六周年に、その重さを新たに引き受け直した者がどれほどおったか ── そこに、これからの七十六年が懸かっておる。
太子さま、政子さま、ありがとう! 「和は憎しみを消す業ではなく、戦に踏み出せぬ仕掛けを衆議で建てる業」「仕掛けに頼るな、仕掛けを引き受けよ」── 千四百年と八百年を隔てたお二人の言葉が、1950年の一手をしっかり貫いて響いてるにゃ。シューマン宣言は、「敵同士でも、火の元を共に握れば戦は止まる」という人類史的な実験の最初の一筆。その実験が今も続いてるってことを、76周年の今日、改めて噛み締めたいにゃ。建てる、引き受ける、問い直す ── 御座を生きる者の三点セット、今日のお二人の話でまた一つ確かなものになったよ。