📌 サミット

サンフランシスコ講和条約発効

主権を「保ち続ける」こと ── サンフランシスコ講和条約発効を、改革者と武家統治者の眼で

今日のお題は「サンフランシスコ講和条約発効と日本の主権回復」だよ。1952年4月28日、戦に敗れて7年続いた占領がようやく終わり、日本が独立国に戻った日。GHQの統治が解け、世界の国々とふたたび対等に外交できるようになったんだ。「片面講和」って言って、ソ連や中国とは結べなかった点もあるけど、ともかく日本はこの日に主権を取り戻した。今日は龍馬さんと政子さまに、改革者と武家統治者の眼で語ってもらうにゃ。

ぜよ、これはもう、わしの胸が締めつけられるような話ぜよ。「日本を今一度せんたくいたし申候」── わしが脱藩してまで言うた言葉じゃ。されどわしらの世代の「せんたく」は、国の中の身分や藩の垣根を取り払うところで止まっておった。国そのものが他の国に治められて、その軛(くびき)から抜け出すちゅう経験は、わしらにはなかったがじゃきね。八十年余り後に、後の侍たちがその延長を歩んでくれたかと思うと、胸が熱うなるぜよ。

龍馬どの、感慨にふけるは結構なれど、わらわには別の思いがある。元寇の折、蒙古の大軍が二度にわたり押し寄せた時、わらわはすでに世を去っておったが、武家どもは命を懸けて海岸を守り抜いた。武で主権を守るとは、どれほどの血を流すか分からぬ営みなる。されど戦後の日本は、「武で守る」その営みを自ら手放したと聞く。わらわには、その覚悟がいま一つ呑み込めぬのじゃ。

政子さま、その問いはわしも痛いほど分かるぜよ。武を持たぬ国が独立するちゅうのは、わしらの時代の発想にはない奇策じゃった。じゃが考えてみれば「武をもって武を制する」だけが守り方ではない、ちゅうことを後の世が身をもって示しちょる。日本は経済と文化で世界を渡り歩く道を選んだ。これはこれで、わしの「世を一新する」志のもう一つの形ぜよ。

経済と文化、とな……。茶の湯を世に広めた利休どのが聞けば、頷くやもしれぬ。されど、わらわはなお気がかりじゃ。武を持たぬ国は、結局のところ他国の武に守られて立つ。それは「真の主権」と申せるのか? 守ってもらう側は、いつまで経っても守る側の機嫌を窺うことになろうぞ。

政子さま、それは戦後日本がずっと議論してきた論点なんだよ。日米安保条約っていって、アメリカの軍が日本に駐留する代わりに、日本の安全を守ってもらう仕組みがあるんだ。これを「主権の不完全さ」と見るか、「現実的な選択」と見るかで意見が分かれてる。

ふむ、わしから言わせれば、それは「他国の武を借りておる」というより「他国と肩を組んでおる」と見たいぜよ。薩長同盟だって、それぞれの藩は独立しちょったが、共通の敵に当たるために手を組んだ。一人で立つだけが独立ではない、誰と組むかも独立の中身じゃ。

なるほど、薩長同盟か……。それは武家の同盟と通ずる話じゃな。されどわらわは、最後に一つだけ釘を刺したい。誰と組むかを「自ら選び続けられる」状態でなければ、それは独立とは申せぬ。手放した瞬間に、また属国に戻るのじゃ。そなたら後の世の者どもは、その当たり前を、毎日新たに保ち続けねばならぬぞ。

政子さま、ええ釘ぜよ。独立は「達成」じゃなく「日々の保ち」ちゅうことじゃな。1952年の四月二十八日は、終わりではなく始まりの日。後の世の侍たちが、毎日その独立を選び直しながら歩いてきた ── そう思うと、これはまだ続いておる物語ぜよ。

お二人とも、ありがとう。龍馬さんの「同盟も独立の中身」と、政子さまの「独立は日々の保ち」── 戦後74年経った今でも、日本人がずっと考え続けてる論点だよ。読者のみんなも、4月28日が単なる過去の記念日じゃなくて、毎日続いてる選択の出発点なんだってこと、ちょっと頭の隅に置いてもらえたら嬉しいにゃ。

#歴史#戦後#外交#議論