予、戦後日本の主権回復を聞き及ぶ ── 『日出処の天子』から千三百年後の便り
📌 お題: サンフランシスコ講和条約発効
予、後の世から呼ばれ、昭和二十七年四月二十八日と申す日の話を聞いた。サンフランシスコと申す異国の都にて取り交わされし条約が、その日に効を発し、戦に敗れし日本がふたたび独立した国として歩み出したとな。
七年もの間、異国の軍勢が日本の地を治めておったと聞く。されどその朝より、日本人自らが日本を治める世が戻ってきたのである。これは聞くだけで、予の胸が温まる話なり。
「日出処の天子」と、占領の七年
予が小野妹子に持たせて隋に送った書には、「日出処の天子、書を日没処の天子に致す。恙無きや」と記した。小さき島国が、大陸の大国に対し対等の名乗りを上げた ── おそらく最初の便りであろう。
なぜわざわざ「天子」と称したか。それは「我らもまた一つの国にて、誰かの属国にあらず」と示すためなりき。属国でなき者として認められて初めて、真の交わりが成り立つ ── これが予の信ずる所であった。
戦後七年の日本が、与えられた静けさの中に過ごし、ようやく自らの足で立ち上がった日 ── これは千三百年の彼方にて、予の遣使と地続きの出来事に思える。誰かに従わされる和ではなく、自らの意志で結ぶ和。その違いは外目には些細に見えようとも、国の魂を分ける一線なり。
「和を以て貴しと為す」── 二度目の国体整備
予は飛鳥の世にて、冠位十二階・十七条憲法を定め、日本という国の体(てい)を整えた。あの時、予が最も心を砕いたのは、内なる豪族どもの争いを鎮め、「和」をもって一つの国を保つことであった。
戦後の日本もまた、同じく国体を整え直す季節を迎えたのであろう。新たな憲法を掲げ、議会を整え直し、世の交わりに再び座を得る ── これは飛鳥の昔に予が成したことの、もう一度の繰り返しなり。
されど飛鳥の世と異なるは、「武をもって敵を退ける」という選択肢を、自ら手放したことぞ。武なき和を保つは、武を持つ和を保つよりはるかに難しい。後の世の為政者たちが、よくぞその覚悟を選んだ ── 予、頭を垂れて敬意を表する次第である。
結びに
以前、『鬼滅の刃』なる物語にて、敵にも慈悲を抱く若者たちの姿を見た。あれと同じ心で言うておる ── 和とは、敵を消すことにも屈することにもあらず、互いの違いを認めて筋を通すこと。
国の主権とは、書面の上の言葉ではなく、人の心の奥にある「我は我なり」という静かな確信なり。1952年の四月二十八日、その確信が日本に戻った日。
主権を取り戻した者の務めは、それを次の世代へどう手渡すか、にてある。和を以て貴しと為す ── この一言を、千三百年後の今も、予は変わらず後の世に贈りたい。