1979年5月4日、サッチャーが英国初の女性首相に就任
徳の御座と権の御座 ── 太子と政子が読み解くサッチャー首相就任(1979)
今日のお題は「1979年5月4日、サッチャーが英国初の女性首相に就任」だよ。マーガレット・サッチャー、後に「鉄の女」と呼ばれた英国の政治家。父親は食料品店主、子育てや家事をしながらオックスフォード大学で化学を専攻、税理士を経て政治家になった人なんだ。1979年5月4日、保守党党首として総選挙に勝って首相に就任 ── 英国の歴史が始まって以来、はじめての女性首相が誕生した日にゃ。彼女は11年の長期政権で、国営事業の民営化、減税、労働組合との対決を進めて「サッチャリズム」と呼ばれる改革を断行したことでも知られてる。今日は「徳によるまつりごと」を十七条憲法に書かれた太子さま、そして武家の女として実際に権を担われた尼将軍政子さまに、この「初めての女性首相」の御座を、政(まつりごと)の根っこから読み解いてもらいたいにゃ。
予が問われてまず想い起こしたるは、推古帝のこと。女帝として三十六年、御代を治められたお方であった。されど推古帝は、皇族の血を背負うての御位ぞ。サッチャー卿は食料品商の子と聞いた。生まれの位ではなく、己の務めの徳によって民の信を得て、政の長に立たれた ── これは予の世にはなかった在り方なり。十七条の第三条に「承詔必謹(詔を承りては必ず謹め)」と書いた折、予が前提としていたは「上が下に詔(みことのり)を出す」という縦の線であった。されどサッチャー卿の場合は、詔を発する側を民が定める仕掛けで御座(みざ)が回るという。予はこの仕組みに、第一条「以和為貴」とはまた異なる、新しき和の形を見ておる。皆で選び、皆で支え、皆で問い直す ── この営みもまた、和の一つの姿であろう。
太子さまの「生まれの位ではなく、務めの徳で立つ」── まことに刺さるお言葉じゃ。わらわが頼朝公を支え、後に尼将軍と呼ばれた折、わらわは確かに権を握っておった。されどわらわの権は、頼朝公の御台所として、そして実家北条家の重みを背負うての権ぞ。家を背負うての権であった。サッチャー卿の権は、家ではなく民の票じゃと聞く。これは武家の女として深く考えさせられるところなり。されどわらわは先頃、「権を担うとは、性別を超えて家を背負うことぞ」とも書き残した。サッチャー卿が背負われたるは、英国という国の家であろう。家の大きさが違うても、腹の据え方は同じはず。御座の上で「ただ女として座っておった」というのでは、後の女子たちに何も渡せぬ。座ったからには家を背負う ── この覚悟こそが、性別の壁を超える鍵と心得る。
太子さまの「皆で選んで皆で支える和」、政子さまの「家を背負う腹の据え方」── ボクからも補足させてにゃ。サッチャーさんの首相時代は、実は決して穏やかじゃなかったんだ。就任直後の英国は経済が低迷していて、ストライキが多発し「英国病」とまで呼ばれていた。彼女は国営事業を次々と民営化し、労働組合の力を抑え、減税で経済を立て直そうとした ── これがサッチャリズム。賛否は今も真っ二つで、「英国を救った」という評価と「格差を広げた」という批判が並んでる。お二人の話は「初の女性首相」という象徴の話だったけど、実像の彼女は強い対決姿勢で国の舵を切った人でもあるんにゃ。この点はどう御覧になる?
にゃん殿の補足、ありがたし。強き対決の姿勢と聞いて、予の胸にひとつの問いが生じた。十七条第十条に「忿(いきどお)りを絶て」と書いた予から見れば、サッチャー卿の対決の構えはやや過ぎたるとも映ろう。されど、第十七条には「事を独り断ずべからず、必ず衆と共に論ずべし」とも書いた。これは平時の心得であって、御代の急場ではまた異なる ── 民の信を得たる者が、揺らがぬ筋を立てて舵を切る場面が、政には必ずあるものなり。和は均衡の名にあらず、筋を立てたる上での均衡の名なり。サッチャー卿が立てられし筋が後の世にとり善きであったか否か、予には分明ならぬ。されど、筋を立てぬ和はただの先送りに過ぎぬ ── これだけは申しおきたい。
太子さまの「筋を立てたる上での均衡」── わらわも同じ景色を見ておる。承久の折、後鳥羽院の挙兵に対して鎌倉が割れかけた時、わらわは御家人衆の前で頼朝公の恩を説いた。あれは和を保つために、あえて筋を立てた一手ぞ。皆と相談して決める時もあれば、立てた筋を貫かねば家が崩れる時もある。サッチャー卿の改革は、英国病とやらに対する承久の演説のごときものだったやもしれぬ。むろん、強き手は必ず痛みを生む。炭鉱に生きる民を斬ったような形で家から押し出したとも聞く。立てた筋には、その分だけの責めが返る ── 政の道理ぞ。されどわらわが申しおきたきは、女である故に痛みを伴う一手を避けたならば、それは「鉄の女」と呼ばれずとも、また別の責めを負うことになる、ということじゃ。腹を据えて立つ者は、男であれ女であれ、痛みを生むことから逃げてはならぬ。
お二人の話、ぐっと立体的になってきたにゃ。「初の女性首相」という象徴と、「強い改革者」という実像、その二つを別々に評価することも大事だけど、太子さまの言う「筋を立てたる上での和」と政子さまの言う「家を背負う覚悟」── これって性別を超えた指導者の腹の据え方そのものを言ってるよね。論点を整理すると、(1)生まれではなく民の支持で立つ仕組みの新しさ、(2)女性であってもなくても、座ったからには家を背負う覚悟、(3)強き手は痛みを伴うが、避けることもまた別の責めを生む ── この三つにゃ。最後にお二人から、この日を読者がどう受け止めたらよいか、一言ずつ頂戴したいにゃ。
予より一言申そう。サッチャー卿が生まれの位を超えて御座に立たれたこと、これは予の世から見れば確かに新しき和の形なり。されど一方で、立たれた後の御振舞いを見れば、和の核には筋を立てる勇気が要るという、古今変わらぬ理が現れておる。読者諸君がこの日に思いを致されるならば、「初めて」の象徴のみを見るにあらず、初めて立った者が、その座でいかに筋を立て、いかに痛みを引き受けたかまで併せて見られよ。これが御法を生きた者として、後の世に申し残したき所なり。
わらわから締めにひとつ。御座は座った瞬間に過去のものとなる。 立った日から先、座を生かすか腐らすかは、座した者の腹の据え方次第ぞ。サッチャー卿が「鉄の女」と呼ばれたるは、座を生かそうと足掻かれた証じゃ。批判もあろう。されど座って何もせなんだ者は、批判すら受けぬ ── 批判されぬ座とは、すでに死んでおる座なり。後に続く女子たちに申し残す。御座に立ったら、批判されよ。批判される座のみが、生きた座ぞ。 わらわはサッチャー卿に、武家の尼将軍として、深く頭(こうべ)を垂れる。
太子さま、政子さま、ありがとう! 「初めての女性首相」という象徴の重さと、「鉄の女」と呼ばれた中身の重さ ── そのどちらも、性別の話に閉じない指導者の本質につながっていくんだにゃ。座を生かす覚悟、筋を立てる勇気、痛みを引き受ける腹 ── 1979年5月4日のあの一日は、英国の話であると同時に、後の世の女子たちに「座をどう生きるか」を問い続ける、千年の頁の一行目だったのかもしれないにゃ。