八百年戦った末の和議 ── 1492年グラナダ陥落をわらわが読む
📌 お題: グラナダ陥落とレコンキスタ完了
後の世から呼ばれて、千四百九十二年一月二日と申す日のことを聞かされた。遠き異国「イスパニア」と申す国の南、グラナダと申す城下にて、ナスル朝と申す回教(イスラム)の王朝が降伏し、八世紀近く続いた「レコンキスタ」と呼ばれる戦が、ようやく幕を閉じたのじゃそうな。最後の王、ボアブディルなる者が城の鍵を女王イザベルなる婦人に手渡し、王宮アルハンブラを退いたという。
八百年とは、何代の御家人が入れ替わる時か
わらわはまず、その戦の長さに息を呑んだ。七一一年に回教徒がイベリア半島に入り、千四百九十二年に追われるまで、およそ七百八十年。わが鎌倉幕府は百四十年余りで滅びたぞ。 その五倍を超える年月、人々はずっと「取り戻す」と申す悲願を抱えて生きてきたという。一代や二代の話ではない。十代、二十代と続く家の物語じゃ。父が果たせぬ志を子に託し、子がまた孫に渡す ── そのような長き伝言を、よくぞ途切れさせなんだものじゃ。
されど、長き戦は人をすり減らす。わらわが承久の乱の後、敗れた京方の御家人たちをどう扱うか苦慮した時のことを思い出した。勝った側にも、戦の長さの分だけ仕掛けが要る。 報復に走らば次の戦を呼ぶ。寛大に過ぎれば味方の不満が爆ぜる。八百年の重みを背負ったイザベル女王とフェルナンド王が、敗者のボアブディルにどのような処遇を施したか ── 史書によれば、命を奪わず、領地と年金を与えて南へ送り出したそうな。これは戦の終わりとして上等な作法であろうぞ。
されど、その後に「異端審問」が来たのが惜しい
わらわが惜しいと申すのは、その後の話じゃ。グラナダ陥落と同じ年に、イスパニアは半島の回教徒・ユダヤ教徒に改宗を迫り、応じぬ者は追放したという。さらに「異端審問」と申す裁きで、内心まで国の枠に押し込めようとした。
これはわらわの目には、勝者の驕(おご)りと映る。せっかく刀を収めたのに、別の刀を抜いたようなものじゃ。戦を終わらせるとは、勝った者が引き算を覚えることであるべきじゃ。 領を取り返したならば、領内の民の心まで取り返そうとせず、信仰の自由を残してこそ、八百年の戦が真に終わる。後の世の歴史書を見るに、追放されたユダヤ教徒は商いと学問を抱えて他国に渡り、その国々を富ませた。奪うた手で、自国を貧しくしたという皮肉じゃな。
戦の終わり方が、次の世を決める
千四百九十二年は、もう一つの大事を抱えた年でもあったと聞き及ぶ。同じ年の十月、コロンブスと申す航海士がイザベル女王の許しを得て船を出し、大西洋の彼方に新しき土地を見つけた。レコンキスタが終わって兵を新大陸の征服に振り向ける ── そう読めば、グラナダ陥落は西洋史の大きな扉が開いた日とも言える。
わらわは思う。戦の終わり方は、その後の時代の歩み方を決める。 イスパニアが寛容を捨てた選択は、後の世にて宗教戦争と植民地争奪の長き影を落とした。八百年の戦を耐えた民が、勝った瞬間に別の長き戦を始めた皮肉 ── これを「驕(おご)り」と読まずして何と呼ぼうぞ。承久を生き抜いたわらわの目には、千四百九十二年の和議は半分の和議であったと映る。残り半分は、後の世の誰かが書き上げてくれるであろうぞ。