馬一頭が国を動かす ── 1975年ハイセイコー引退式に学ぶ
📌 お題: ハイセイコー引退式
後の世から呼ばれて、昭和五十年一月六日と申す日のことを聞かされた。東京競馬場と申すところで、ハイセイコーと申す競走馬の引退式が行われ、観衆十万人以上が集まったという。一頭の馬の引退に、それほどの民が涙を流して別れを惜しんだそうな。わらわは武家の女として、馬を共に戦う身内のように扱うてきた。それゆえ、この一件は深く深く心に残ったのじゃ。
わらわは「英雄馬」と申す言葉に頷くばかりじゃ
鎌倉の頃、わが頼朝公が乗った馬の名は「池月(いけづき)」と申し、源義経公の馬は「太夫黒(たゆうぐろ)」と申した。いずれも一騎当千の馬として武家の語り草となり、絵巻にも残された。わらわの世では、馬は単なる獣ではなく、主と運命を共にする家族のような存在であった。それゆえ「英雄馬」という呼び方に、わらわは違和感を持たぬ。馬には確かに、人の心を引き寄せる徳がある。
ハイセイコーと申す馬は、地方の競馬場(大井と申すところ)から中央の競馬に上がってきた挑戦者であったと聞き及ぶ。地方出身、しかも六連勝で中央デビュー── これは武家で言えば、無名の地方武者が突然中央の合戦に名乗りを上げて、立て続けに勲功を上げたようなものじゃ。民が熱狂するは、当然の流れであろう。
庶民が「自分の馬」と思う瞬間が、英雄を作る
わらわが面白いと思うたのは、ハイセイコーが日本ダービーで負けたあとも、人気が衰えるどころか、ますます熱を帯びたという話じゃ。「勝つから愛されたのではない、負けても愛された」── これは英雄の真の姿である。完璧な勝者は尊敬されるが、敗れて立ち上がる者は愛される。ハイセイコーは、後者の側におった馬じゃ。
わが頼朝公も、石橋山の戦で大敗し、命からがら逃げ延びた頃に、関東の御家人たちが集まってきた。勝ち続ける主のもとに人は集まらぬ。一度敗れ、それでもなお立つ主のもとに、人は集まる。これは武家の真理じゃが、競馬の世界でも同じ理(ことわり)が働いておったとは、興味深きことよ。
馬を介して、人と人が涙を流し合う場
引退式に十万人が集まったという話、わらわは別の意味でも感じ入った。馬一頭を介して、見ず知らずの十万人が同じ場で涙を流し合う ── これは武家の世にも公家の世にもなかった現象じゃ。鎌倉の御家人が集まるのは戦勝の祝いか、主の葬送か、いずれにせよ「組織の集まり」じゃった。されど、ハイセイコーの引退式は、家も身分も職もばらばらの十万人が、ただ「あの馬が好きだった」という一点で集まったのじゃという。
これは現代という時代が生み出した新しき「徳」の集まり方なのやもしれぬ。テレビと申す絡繰り(からくり)で、家にいながら同じ馬の走りを見て、同じ瞬間に拳を握りしめた人々が、その共有された記憶をたどって一つの場に集った ── これを「メディアが生んだ共同体」と後の世の学者は呼ぶそうじゃが、わらわは「心の御家人衆」と呼びたい。
馬の徳は、千年経っても変わらぬ
ハイセイコーは引退後、種牡馬(しゅぼば)として後の世代を残し、安らかに生涯を閉じたと聞く。戦の馬であれ、競走の馬であれ、人と心を通わせた馬は、その徳を後の世まで残す。わらわが鎌倉で愛しんだ馬たちと、昭和の競馬場で十万人に愛されたハイセイコーは、七百年の隔たりがあれども、徳の根っこは同じ場所にある。
馬を共に走らせた者は、馬の心を知る。馬の心を知った者は、馬を介して人と繋がる。これは時代を越えた人馬の縁であろう。ハイセイコー殿、よくぞ働かれた。安らかに眠られよ ── わらわは鎌倉の女として、深く頭を垂れる。