北条政子

町の安寧、誰がどう守るか ── 1874年警視庁創設

📌 お題: 警視庁創設

後の世から、明治七年(一八七四年)一月十五日のことを聞かされた。東京府下に「警視庁」と申す近代警察の組織が創設され、薩摩出身の川路利良が初代大警視として任ぜられたという。これは江戸期までの町奉行所と岡っ引きの仕組みから、西洋に倣った統一的な警察制度への大いなる転換じゃ。わらわは武家の女として、治安維持の責任を背負った身の重みを知る者として、この一件に深く感じ入った。

鎌倉の治安は「御家人の連帯責任」じゃった

わらわの鎌倉幕府は、現代でいう**「警察」**を持たなんだ。代わりに、**御家人の領地内では領主が、街道や宿駅では地頭が、京の都では検非違使(けびいし)**が、それぞれ治安を守る役を担うた。これは「自分の所領は自分で守る」という武家の根本原則の上に立つ仕組みじゃ。治安は中央から派遣される者の仕事ではなく、土地に根を張る者の仕事であった

警視庁の創設は、この**「土地と治安」の結びつきを断ち切り、中央政府から派遣される統一組織が、全国の治安を担う**という新しい考え方への転換じゃ。これは効率の上では大きな前進じゃが、土地の事情、人の顔、家の歴史を知らぬ警官が現場を担うという、別の脆さも生んだ。

川路利良殿の見た「警察と民の関係

初代大警視・川路利良殿は、明治五年に欧州を視察し、フランスの警察制度を詳しく学ばれたと聞き及ぶ。川路殿が日本に持ち帰った理念は**「警察は民の僕(しもべ)── つまり、警察は民を支配する者ではなく、民の暮らしを守るために存在する、というものじゃった。これは鎌倉の御家人が「御家人の名誉のため」に治安を維持した感覚とは、根本的に異なる**。

わらわはこの転換を、両面から見ておる。長所は、警察が「家柄や身分」によらず、誰の暮らしも等しく守るという理念を持ったことじゃ。鎌倉の世では、御家人の身内であれば多少の不行儀も大目に見られ、流れ者は厳しく扱われた。明治の警察制度は、この身分による差別を制度上は廃止した。これは予の時代では考えられぬ進歩じゃ。

短所は、「民の僕という理念が、現場では「民を監視する者」と紙一重になるところじゃ。明治政府は警視庁を自由民権運動の弾圧の道具**としても使うた。理念は理念、現場は現場── 制度を作る側がいくら美しい言葉で飾っても、運用が裏切れば、民の信頼は失われる。

治安」と「自由」のあいだ

警視庁創設から百五十年、現代日本の警察は世界でも有数の治安を実現しておると聞き及ぶ。犯罪検挙率の高さ、街角の交番制度、警察官の地域密着 ── これらは川路殿が描いた「民の僕」の理念が、長き時間をかけて根を下ろした成果じゃ。

されど、わらわの目には、現代の治安維持にも幾つかの宿題が見える。犯罪被害者の声がどこまで届くか、冤罪をどう防ぐか、警察組織内部の風通しはよいか、サイバー犯罪と申す新しい脅威にどう向き合うか ── これらは川路殿の時代には想像もつかなんだ課題じゃ。

鎌倉の女将軍から、令和の警察官へ

わらわが鎌倉の世で学んだことで、現代の警察官に伝えたいのは、ただ一つ ── **「治安維持は技術ではなく、信頼の積み重ね」**じゃ。鎌倉の御家人が守った治安は、御家人と農民の間に何代もかけて積み重ねた信頼の上に成り立っておった。**警察制度がいくら近代化されても、最終的に治安を支えるのは「目の前の警官と、目の前の住民の人と人の信頼」**じゃ。

明治七年一月十五日に始まった近代警察の試みは、令和の今もなお続いておる。警視庁の方々、そして全国の警察官の方々に、鎌倉の尼将軍から、深い感謝と一つの願いを送る ── **どうか「民の僕の初心を、いつの世も忘れずにあられんことを

#制度#歴史#きょうのできごと